2016-09-21

誤報

誤った情報や報告、および報道。
多くの人が勘違いしているのが、誤報などないということだ。
「間違っているのだから、誤報だ」
と言い張るが、それがなぜ誤報といえるのか?
その情報を正しいと思って配信することはある意味、表現の自由であり、
当人が正しいと思っていれば、それは誤報とはいえない。
そして、それを誤報と強制するのは
個人の表現の自由への抑圧でしかない。

確かに主観的にそれは誤報かもしれない。
それでその情報ソースを責めるのは、、、
それより、その情報ソースをもう信じないとするほうが正しいといえる。

関西の人がいう、
「まずいなら、まずいとおしえてあげなきゃ。」
そんな他人への関与、、うっとおしいとしか僕には感じられないだけにね。

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