2016-07-29

無糖

砂糖がない状態。
甘くない、
すっきりしている、
と言われる。

確かに、必ずしも甘い必要がないが、
糖、炭水化物を否定するのはどうだろうか?
人間の脳、、つまり人間らしさの根本は糖でないと活動できない。
だからこそ、、4大文明は炭水化物がいっぱい取れたので発展できたといえる。

糖に対して、いろいろと批判している意見が多いが、
そう言っている人間って結構、おつむが弱く、妄信的そういうことを言っているよね。
どうも、現代人の発想、破滅的なことばかりいっているように感じるのは
糖不足からじゃないのかって思ってしまう。

2016-07-28

育児

子供を育てること。
人間、、というより日本の育児感覚がレアである自覚を
本当に日本人はわかろうとしない。
そもそも、育児をするという概念をもつ生物が少ないという事実。
そして、我が子に執着することがそう多くないという事実。
つまり、自己犠牲をしてまで、子供を守る動物は本当にレアである。
この事実だけでなく、
発展途上国や欧州などでは、そこまで子育てを重視しない。
生き残った子供が大人になるという概念があり、
死んでしまうのは仕方がないという、生物本来の生存能力に忠実といえる。
それが自然淘汰というカタチだといえる。
だから、自力で生きていこうとしない子供を養護することが
異常という認識こそ、グローバル、、そして地球の生物として正しいのである。

地球に生きる生物としての責任とかいうが
そう考えて愚かな持論で劣勢種を残そうとしての育児は
地球への罪といえないか??

2016-07-27

薬物

人間の身体能力を飛躍させるものは諸刃の刃である。
機材を使ったトレーニングは必要以上の負荷をかけるからこそ
筋組織が強化される。その分、肉体寿命は短くなっていることをなぜか立証しないのは?
対して、薬系の身体強化については、異常に毛嫌いを起こす社会になっている。
僕からすれば、薬をそこまで憎む人間のほうを憎む。
薬で強化できるのであれば、それでいいではないか!
そこまで自分の寿命を短くしてまで、ほしい名誉があるのだから、
その人の人生は十分だと思う。
夢に命をかける。
士道とは死ぬことにみたり
薬を使うことはある意味、
命をかけた潔さを感じてならない。
死ぬ覚悟をしてまで行うことに競技だからこそ、面白い。
ローマのコロッセオでは毎日、人間が死んでいて、それに熱狂した。
現代人の甘い馴れ合いの発想は
人間らしさを失わせていると感じてならない。
死を感じるからこそ、価値が高まることをなぜ否定する??

2016-07-26

専横

好き勝手に振る舞うこと。また、そのさま。わがまま。
この人たちの根本的な人格的欠陥は、自分自身を分かっていないことが多い。
専横な人ほど
「自分ほど気を使っている人間はいない」
って自信をもって言う。
もし、本当に気を使っている人間なら
「自分ほど気が利かない人間はいない」
と発言することから、その人間の欠陥性は容易にわかる。

悲しいかな、本当に多いなあ。
自称、気を使っていると発言する人間が、、、
自分がわがままって思って自重できないのかなねえ。

2016-07-25

請託

特別の計らいを頼み込む、情実的な依頼。
日本では、このようなことを政治家を受けて、
その見返りをもらうと賄賂になる。
これがなんか正しいとされている。
それ自体がおかしくないか?

日本人の大好きなアメリカ。
そのトップである大統領の住まい、ホワイトハウス。
政権が変わると、そのメンテ、サービス会社も変わる、、
というより、選挙時点で献金や投票で決まっているそうだ。
つまり、賄賂そのものというべきだろうか?

利害関係が一致しているのだから請託は問題ないと思うが、
日本のおかしな価値観は、政権の在り様からそうなっているのでは?
なんか、正しいと考える価値観そのものがグローバルどころか
凝り固まっているとしかいいようがない。
もっとも、アメリカの在り様も正しいとは言えないゆえ、
正しさなど求めてはいけないのではって思うばかりだがね。

2016-07-21

一隅

かたすみ、隅っこ。
人間って面白いもので
自分が活躍するときには真ん中ででしゃばるくせに
そうではないときは隅っこに身を寄せる。
これは人間だけではなく、動物の防衛本能だからといいだすが、
ペンギンのコロニーのように真ん中のほうが安全ということもあり
隅が安全とは到底言い切れない。
しかしだ、
ペンギン同士は争わないからこそ、ペンギンしかいない真ん中は安全。
対して、人間の一番の敵は、、人間ということであれば、
四方八方を人間に囲まれたら、、
そう、人間が一番人間を嫌うのはこのことからもわかってきた。

職域

各職業の範囲。
昔はそれが権限でもあり、責任、名誉でもあった。
ある意味、社会的ステータスだったともいえる。
対して、現代のそれは、個々人が自己判断で職域を定義出来てしまっている。
そして、それにより誰も行わない活動、業務の谷間が発生し、
業務的、社会的な欠陥が発生してきている。
そこに対して、自分ではないということをその職域の観点で
責任転嫁を始めていることに、すごくリスクとビジネスの発展性が
感じられないのは、僕だけなのか?ってつくづく思ってしまう。

2016-07-20

賢慮

賢明な考え。
賢いってなんだろう。
先を見据えた考え、
先を見据えてあえて失敗させてリカバリのほうがいいと判断したとしても
他人からすれば、失敗させるとは何て愚かなって評価する人もいる。
賢い考えなんて、他人にはわからないし、
賢いって自分の判断軸でしか評価するから
絶対的な賢さなんてありえないって思っている。

2016-07-19

生食

素材を加熱しないで食すること。
面白いもので、技術が進化したから生食から脱却したが
それ以上の技術進化が行われたから、生食がまた復活した。

生食は、衛生的、味覚的、触感的に食を素材する食べ方だった。
そこに、火が登場し、焼く、煮る、蒸す、など加熱調理をすることで
劇的に食することが安全かつ快楽になった。
そして、その美食がより進み、そして原点回帰して
生で食することがある意味本質と悟ったりする。
しかし、衛生、味覚、触感的に問題ゆえに加熱だったが、
滅菌、保冷、運搬という調理ではない技術により、
生のまま食することが可能になっている現代。

人間はいろいろなところで原点回帰するということが
この生食でわかる気がするとともに、やはり人間がまた同じようなことを、、
うーーん、楽しみかな。。

2016-07-15

仕様

作るものに関し要求する、
特定の形状・構造・寸法・成分・精度・性能・製造法・試験方法などの規定。
そのものの定量的な存在意義といえる。

仕様にあっている、仕様どおりとか製造現場でいわれる。
仕様はある意味、絶対といえる。

しかしだ、その仕様って何のため?
その目的を見失っている仕様が本当に仕様なのか?
僕からすれば、仕様など一時的な達成点でしかないように思う。
あまり仕様にこだわって、結果価値のないものばかりになっていないか??

2016-07-14

汁粉

小豆などを砂糖で甘く煮た小豆汁の中に、
餅や白玉団子、栗の甘露煮などを入れた食べ物。
和菓子と洋菓子を比較して、
脂分が少ないから和菓子のほうがいいといわれる。
どうかな?
脂分は3大栄養素であるから、ないわけにはいかない。
逆に、3大栄養素をすべて兼ね備えている洋菓子のほうが栄養的ではないか?
そもそも、洋菓子はどの国でも口にできるが
和菓子、お汁粉と簡単なものでもなかなか口にすることは難しい。
そういうレベルで、和菓子と洋菓子を比較すること自体おかしいのでは?
って思ってしまう。

まーーー、母の遺伝でお汁粉を欲してしまう自分の嗜好には抗えないけどね。

2016-07-13

封建

君主が公領(=君主の直轄領)以外の土地を諸侯に分け与えて、
それぞれにその領地を治めさせること。
古今東西、人間はこの発想で支配という概念をもっていた。
ということは、人間は土地支配を望むのが本能といえる。
まー、だから戦争の多くは土地を手に入れることに起因しているし、
自分の成果を土地で示したがる。
マイホームという発想も基本は土地を手に入れることだといえる。

現代社会、封建制度も土地重視主義は薄れている。
でも本能論から考えると、また土地をめぐる戦争がおきるのでは?
と思う、、というか、、中国の今の行動ってその通りではないか、、てね。

2016-07-12

無益

利益のないこと。
でも、本当に利益がないとはなんだろうか?
金銭的
経験的
社会的
いろいろな観点から利益にならないことはないのではないか?

無益とは、そう思い込む人の思いでしかないのでは?

2016-07-11

気分

一般には心身についての微弱で持続的な感情のこと。
って定義は間違いだと思う。
気分とは、、社会関与への積極、消極的な意思表示である。
気分がいい、悪いを他者に伝える意思は
自分が共同体において前向き、後ろ向きかを暗示している。
それに感情と言いながらも結局は自己中心的な意思そのものだから。
あまり、教科書的な表現を鵜呑みにするのもどうかな。
実質的には人間の好き勝手でしかないようだ。

2016-07-08

強引

むりも構わず、強気でするさま。
これって、結構受け手の思いだけで、当人は全然そう感じていない。
強引と言われることほど、案外当然だったりするものを
かたくなに捻じ曲げている人ほど、正しさに向かうことに抵抗する。
強引に物事を進めることが、本当に強引なのか
そもそも事実を捻じ曲げてたことを正されることにへの厭味、反抗が
そういう負け惜しみとして言われているに過ぎないのでは??

2016-07-07

保管

物を預かって、傷めたりなくしたりしないように保っておくこと。
この言葉から、自分のモノは保管対象ではないということがわかるが
その理解がない人が多い。
日本語は主体の認識が弱い言語だけでなく、
意味も自他の区別がつかない言葉が多い。

もともと共有、公共性が強い民族だったのに
それを能力やら個性とか言い出したバカな結果だと思う。

自分のものであったとしても
みんなのために保管しているという意味が成り立っていたのに
個人所有、排他的な発想が起きたために
なんかおかしい日本語が成り立つようになってしまった。
いろいろな意味で、日本は強引に過去の価値に戻るか、もう日本価値観を捨てるか
としか言いようがない。

2016-07-06

土偶

人間(特に女性)を模して、あるいは精霊を表現して作られたと考えられる土製品。
これは祭事、もしくは祈祷用とか言われている。
、、、どうだろうか?
できの悪いぬいぐるみ
精工なロボットフィギュア
がそのまま、2000年も地中に埋まっていて
2000年後の世界に出土された場合、、、その時代の人間は、、
これは祭事用の道具だって言い出すかもしれない。

土偶ってその時代のおもちゃじゃないのか?
作られて目的も、子供をあやすため、もしくは大人の趣味とは
あまり深い意味はないのでは?って僕は感じる。
人間という動物は、まだに意味を考えすぎではないかって思う。
結局、人間はどの時代も同じようなことをしているのではないか
歴史は繰り返すと強く感じる。

2016-07-05

鬱積

不平・不満が晴らされずに次々と、心に一杯たまること。
ストレスといえるだろう。
そうストレスというが、その言葉の日本語は鬱積である。
横文字を使うなとは言わないが
こういう変な横文字で日本語にある表現が失われていくことはなんかねえ。

2016-07-04

銅鑼

青銅、真鍮、鉄などでできた金属製円盤を枠(ドラスタンド)に吊るして、
桴で打ち鳴らす楽器。

でも、もう銅鑼は楽器ではなく、概念になっているといえないか?

~どら息子
~どら焼き
~ドラえもん
~イベントの開始音

すべて、銅鑼がもとであるが、
必ずしも皆の頭には金属円盤が思い出されることはない。
ただ、それぞれのものが頭によぎるだけといえる。

学術的に言えば、銅鑼はすでに形而下から形而上の世界に昇華した存在と
仰ぎ見ることが存在といえる。

2016-07-01

雲母

これなんて読むか?
うんもかもしれないが、訓読みだと、きら、きららと読む。
英語だとmica,輝くものという意味。

ケイ酸塩鉱物のグループ名で
薄くはがれやすい輝く鉱物。
綺羅びく雲になる元だから、雲母とも言われるが
宝石でもないこの鉱石、
染料
燃料
素体
といろいろと役に立つようで、なかなか興味深い。

こういう素体を活用できるのが、人間だと深く関心してしまう。