自分の今までの認識と他人の認識の乖離と言うべきだろうか?
言葉の定義では
迷った心で,物事に深く執着すること
とされる。
しかし、
自分で自分が妄執になっているとは決して思わない。
他人から、妄執にとらわれていると評されるのである。
自分自身は、今までの行い、結果にもとづいて行動しているが
他人からすれば、その行為はすでに本題、主流ではないとされていることを
いつまでも続けている様なのである。
ルールにのっとり、歴史を鑑みて、正しく行動しているとしても
他人から、妄執にとらわれている 愚行といわれることは
実際問題、かなりの日常的なところでも見受けられるといえよう。
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