現代社会、怖気づくという言うときは
その恐怖は生命の危機というより、
社会的批判になるのでは?
社会的批判になるのでは?
~殺されるかもしれない
~怪我するかもしれない
から
~失敗したら、この先の人生で汚点になる
~こんなことをしたら、みんなに嫌われてしまう
というほうが今の恐怖になっている。
生命の危機から離れたので安全な社会と思うか
一度の失敗に人生ずっと後ろ指指される生き地獄か
どっちが苦痛なのか?
道徳的には死んだらならないというが、
生きていることでストレスを抱え、体調を悪くし続けること
を強いる社会って、本当に道徳的だろうか!
生きるということの意味を
死ぬことの楽さを見つめる死生観を考えさせられる。
Marry X'mas だね
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