問題や対決姿勢の決着。
それぞれの言い分、引けないところを調整してそこに持っていく。
多くの場合は、当事者ではない第三者、それも権威権力者が
落処を先導することになる。
っと考えると、、やはり人間は平等であることは危険だ。
平等だと思うからこそ、平気で、鈍感に他者へ迷惑をかける。
かけた迷惑を理解せず、そういわれることにまた迷惑を感じる。
そこで問題を起こす。
つまり、平等というものでは問題ばかりだ。
落処を先導する、、もっといえば不平等に
統治の名のもとに人民を統制することが問題を解決、発生させないことだと
落処にならない庶民の発想はやはり、、愚かなんだろうな。
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