「恩顧を被る」
「恩顧に報いる」
という表現がある。
現代社会、恩顧を感じているだろうか?
自分はされて当然だ
他人は自分に奉仕するものだ
という認識、行動が多すぎる。
恩顧かそうではないかとを分けることはあまり好ましくないが
軸として思うのは、対価だろう。
十分な対価を支払っていれば、恩顧を受けたと認識しなくても、、
と思うが、現代人が十分な対価を支払っていると思えない。
と思うが、現代人が十分な対価を支払っていると思えない。
その結果、他人との接し方が攻撃的、無感情、、希薄な関係になる。
この先にある個人自分主義の末路がどうなるのか?
ちょっと実験的にこの社会を神瞰していこうっと。
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