自分が受けていた学校教育はある意味狭間で
権威志向と議論の活性化が共存、、、いや混沌としていた。
生徒会をやっているときに顧問に
「もっと議論をすべきだ」
という教師に
「そんなことをしなくてももう決まったのだ」
と返事すると
「反論するな」
って言われた。おいおい、議論をすべきではないか?
自分は対象外って何様だ。
議論しろって言いったり、反論するなって
教師がまずその器ではないのだから、日本では議論など無駄だよ。
議論ではなく、説明力、圧倒力をどう手に入れるかだね。
よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
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