2021-01-29

覆面

(人相を見られないように)布などで顔をおおい隠すこと。
仮面、覆面、そして現在、外出時につけなくてはならないもの
すべてMUSKである。
英語ではMUSK、、、隠すものという一義なのに
日本語では、仮面、覆面、マスクと別のものと認識している。
とりわけ覆面は覆面パトカー、覆面レスラーなどと使う。
覆面の意味は隠すというより、見破られないという意味をもたせているのか?
日本人は英語を逐語訳をしたがり、そうできないものを多義語と呼ぶが
このMUSKも多義語、、というより、日本人が細分化しすぎなのでは?

2021-01-28

幼子

おさない子。
現代社会は狂っていると言いようがない。
幼子に対する興味のありなしをその人の有様で判断する。

相手の生活、家族構成を把握したうえで
子供に興味なしでいると
「子供に縛られない、頼られない生き方なんですね」
子供に興味ありだと
「いい親をやっていますねえ、お子さんもさぞ、、」
とか好感を抱く見解をなるが
逆に
子供に興味なしでいると
「子供に優しくないのはどうなの?」
子供に興味ありだと
「ロリコンなの?気持ち悪い」
と批判を受ける。

そもそも、社会が子供を大切にする理由が現代社会にあるだろうか?
社会福祉貢献
納税義務
扶養義務
それぞれを果たすことがなくなった以上、
そこまで他人にする必要がないのが、個人主義の終焉であり
この状況で他者に子供の保護、庇護を求めるどころか
強要するなどおくがましいことでしかない。

2021-01-27

器用

物事、特に細かい仕事をうまくやってのけること。
日本人は箸を器用に使うと言い張る。
そう言い張っている。
同じ箸を使う文化のアジア圏の国々の見解は
「箸はつかむもの、用途に合わせて使い分けてこそおいしくいただくというもの」
「どれだけひとつの食器に固執しているの?」
「食べるときに持ち替えないなんて、横着、マナー違反だ」
って指摘もある。
グローバルとか日本人は器用という見解自体が
とても内向き意固地な見解だこと。

器用とはそういうことではなく、
もっと自分の存在感を相手に押し付ける力を見せつけることであり、
そこの武力を持ち合わせていない戦争放棄の日本人が器用なわけがない。

2021-01-26

巨人

巨大な(もっぱら身長が高い)人間。
人間の想定外の人型は空想で実際には存在しないので、
仮に存在したら、その存在を人間とみなすだろうか?
ゴリラ、オラウータンがそうだったように。
今において
巨人の意味は、偉業者、偉大なる存在の人に使われることになっている。
現代人はこの巨人幻想に向き合うべきか?
今は存在しない、その偉業はその当時の偉業であって
今はそれ以上のことをする必要があることもある。
巨人という存在に昇華させたために
その偉業を否定、塗り替えることへの躊躇が人間の発展、進化の妨げになる。
巨人の存在を巨人幻想としてとらわれるな。

2021-01-25

痛恨

とり返しがつかないと、非常にくやみ残念がること。
痛恨の痛手となること、、あってはならない。
しかし、ビジネス、人生において相手に痛恨の痛手を負わすことが
その人の生命線になることが多い、、いやそれが生存戦争だ。
「取り返しのつかないことを起こさないように行動しよう」
ではなく、実際問題は
「他者に取り返しのつかないことをさせて、自分の最高益を得よう」
と同義であることをなぜはっきり言わない?!

2021-01-22

処断

さばいて、はっきり結論を出すこと。きっぱりと決定し処理すること。
処断を下す。
今はこの表現を使えなくなっている。
権力志向の言葉とみなされ、ハラスメント
責任回避前提の今、処断という行為をすることがリスク
、、、、こんな無責任、優柔不断でいいのか!現代社会。
責任を明確にするとともに、その責任のうえで成果と処罰をしてこそ
能力主義なのでは?
ある意味、もっと生死をかけた生き方を、
「処断なくして成功なし」なのでは!

2021-01-21

献金

ある目的に使ってもらうために金銭を差し出すこと。
とかく日本では献金に対して、悪いイメージになっている。
しかし、上記の定義通り「ある目的」ということを忘れている。
目的のために、献金することがなぜ悪い?
政治資金収支報告書って公私の使い分けが出来ない政治家の財布を開示させること
日本人の大好きなアメリカは献金こそ目的達成のために
献金しないから願いがとらない、規制されて当然になっている。
日本国民が薄汚れているのに、政治家にクリーンを求めすぎ、
そもそも、
選挙は献金する人を選ぶもの、
その後、
選んだ政治家への献金によって、有利な政策を実現させることになる事実を
なぜ否定するのか?
どうも、日本人の理解が悪いことに苛立つ。

2021-01-20

市中

市の内。街の中。
そもそも、市という文字の定義は?
シとしては、行政区分のひとつで、通常は人口が多く密集した自治体
イチとしては、一定の日に物を持ち寄り売買・交換すること
となる。
かなり違う意味のようにうつるが、
語幹としては、
「人が集まっている状態」
である。
だから、市中もシチュウという読みになるが
行政区分の範囲内という意味ではなく、
人々の集まっている中で、、という意味になる。

人の集まる、、、COVIDの今
これはいけないことになるとはね。


2021-01-19

類似

似通うこと。よく似ていてまぎらわしいこと。
この内容について、現代人の認識はひどい。
自分において、類似していても区別されることを求め
他人において、区別することを嫌い、類似で処理をしたがる。
そこで大きな認識障害、対立を起こす。
「同じものばかりだな」
「全然違うことがわからないのか」
っていう会話は、ジェネレーション、専門性において
頻繁に耳にするだろう。
もっとも
同類項という概念を教えながら個性を伸ばすって教えていることに
疑問を感じないコピーされた考え方の教職者の多さもまた
社会教育のおかしさを感じてしまう。

2021-01-18

身丈

せいの高さ。身長。背丈
転じて無理をせず、力相応に対処すること。

ある家庭では
・とても受かりそうもない学校に記念受験をすることを止める・
・節約と言って、1円でも安いものを買い探す
をしているが
・到底機能を使いこなせないのに、高性能な携帯電話を買いだす
・バーゲンだからと言って、必要もないものを50%オフに5桁の支払いを厭わない
をして、行動矛盾をしている。

同じように企業でも
・コストカットと言って経費、労務費を下げたがる
・税金対策として利益操作をしたがる
のに、
・社員が到底使いこなせないシステム、分析ツールをどんどん買いなおす
・結果の見えない営業活動にどんどん支払う

現代人は自分の身の丈、、、つまり力量を考えて生きるべきだと思う。
いや、逆に現時点の収支の考え方を全く逆にしたほうが返って
精神的、経済活性につながるのではって思ってしまう。
切り詰めるものは何で、今支払っているものが本当に必要か?って。

2021-01-15

関税

国境または国内の特定の地域を通過する物品に対して課される税。
国内産業育成保護や政治的問題からかけるものとしている。
値段をあげれば、購買意欲を割くからだし
その上乗せ金額を国庫に入れられるという思惑でかかる。

しかし、いいものは買うだろう。この時代。
そして、関税をかけることで国庫に入れる前に
その制度設計、運用コストでトントンになっている行政原価の肥大化。

思うに、関税論を辞めさせて
アメリカに強いられた仕組みをなおさせたら
目標は達成できるのでは?
それは
輸入されるものは
賞味期限、有効期限という表現から
単純な製造年月日に変えるだけ。
これで、購買意欲は一気にかわるだろう。

根拠も保証もない賞味期限制度をいつまで従っているのか?
もはやアメリカに迎合してきた社会構造を変えるべきなのでは!

2021-01-14

時限

作用が起こる時刻や効力を保つ期間に限定が設けてあること。
時限爆弾、時限立法などが挙げられる。
ふと思う。
人間は自分以外のものに時限を課すのに、
自分に対しては結構ルーズな人間が多いこと。
その時間から始まる、終わるのであれば、
その前より準備するべきなのにその時間から準備を始めたりしている。
定刻、時限について日本人はそれなりにpunctualだったのだが、
グローバル化がその定義を悪くしているように感じる。
なんかグローバル化の価値観って本当に必要?

2021-01-13

一口

ひとくち、、、いや、「いもあらい」と読む場合もある。
一口坂という地名に使われる難読である。
一口という一般的な意味での
・全部を一度に口に入れること
・ちょっと飲み食いすること
とはいかない難読ってなんかね。


2021-01-12

回帰

一般にはもとの位置または状態に戻ること、あるいはそれを繰り返すこと。
原点回帰、回帰分析などいろいろと専門的な言葉として使われているが
回帰は身近に起きている。
今の社会ってどう見ても1970年代に回帰しているようだ。
・商業施設が夕飯時には閉店時間を迎え
・買い物に買い物かご、買い物袋を持参し
・夕飯時に家族がそろって食事をとる
、、COVIDのせいで苦しんでいるというが
これって日本人が求めていた姿ではないか!
・残業を減らし
・エコな生活
・家族団らんのライフスタイル
を目指すために、働き方改革をしていたような、、、

目指すべきものが過去回帰だったのに、
その生活をいざするとしたら、耐えると言い出すこの社会。
そう考えると、働き方改革って自発的には無理だったというか
COVIDこそ真の働き方改革、回帰手法だったのでは?

2021-01-08

志願

あるものになることを望み、進んで申し出ること。
現代において、この言葉は軍事用語になっている。
志願者って言えば、だいたい入隊の時にしかいわない。
同じように社会組織に入りたい人たちは入学、入社志望者というから。
あえてそうしているような気がする。
だって、入学希望者が学校に提出する書類は願書を出願するのなら
志願者なはずなのに、あえて志望って言い換えることに作為を感じるね。


2021-01-07

二大

2つの巨大な勢力に抑えられている、寡占状態。
・論点がはっきりしている
・白黒つけやすい
二大政党制などに代表されることで知られる。
しかし、それは2勢力が均衡している状態なので優劣の差が微小なことが多い。
その微笑な差でも差として認めるべきとしてきたのが
多数決、、民主主義だった。

僕からすればそれは過去形に思う。
・微小な差を認めない
・自分たちもそれなりの力を持っているから従わない
ということを言い出し始めている。
こうなると、多数決という決が決まらない。
渾沌なことになる、、、なっている。

ある意味、多数決、民主主義は二大になった時点で衰退に入っていた。
民主主義の成れの果ては、衆愚
そして、その後は、、マキャベリの君主論どおりになっているねえ。

2021-01-06

童心

こどもの(ような)純真な心。
ふと、思う。
子供って純真なんだろうか?
子供の心ってなんだ?
定義における子供の概念が変わりつつある現代社会。
・犯罪の低年齢化
・大人ぶる子供の発言
・子供の人権という言葉で守られ調子にのる作為的行動
次世代を託すと言いながら、納税や社旗貢献にならない人材も多く見受けられる昨今。
子供を守るべきか?
子供を守るからこそ、少子化になるのでは?
子供を増やすというなら、もっと人間を雑に扱え。
出生率の高かった時代、今のように子供を守っていたか?!
栄養、衛生、そして、地位が底辺だったからこそ
自ら生き残った者だけが勝者になる社会。
その思いこそ純粋な童心なのでは?


2021-01-05

同調

他のあるものに調子をあわせること。他と同じ意見・態度になること。
ある意味、自分の意見ではなく他人のせいにして利権を得ようとする発想だ。
ふと身の回りをみると思った。
駄々をこねる子供と知的とされる文化人が同レベルであることを。

子供は自分の欲しいモノを得るために
「みんな持っているから、自分のほしい」
っていうが、持っている人などほんの一部だったり、
それを手に入れた子供はそれなりの対価を支払っていることがわかる。
これは、子供の駄々でしかないとわかりきっている。
対して
知的とされる文化人がマスメディアで
「アメリカでは、、」
「諸外国で対応しているので、なぜ日本政府は」
と言っている。
バカか、、駄々をこねる子供と同じではないか。
アメリカと比較するが、日本ほど皆保険制度がなかったり、貧富の差が大きい。
諸外国というが、比較している外国はほんの一部だ。
多くの国はそんなことできていないし、それを行うためには代償がある。

文化人はリスク無く、外国の成果を説明しているだけ。
自分では何もしてないで、気になる事実を切り抜いてしゃべっているだけ。
それで出演料を得ている。。。。
その発言リスクを外国へ責任転嫁することになるがそれでも批判されるが
その批判リスクも避けることが出来るはその文化人を使っているだけとしている
マスメディアだから現在の社会構造ってどういう同調でなりたっているんだ。


2021-01-04

初詣

年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。
言葉の説明からして、敬虔さはなく
これは神事でも信仰でもなく、ただのイベント。
信仰の自由に抵触もしない。
はっきり言えば、バカな日本の悪習。
それで稼ぐ寺社もまたどうかと思う。
そもそも、資本主義経済活動と信仰って根本的に二律背反なのに
なぜ成り立っているか僕としては理解できない。
COVID-19がCOVID-20/21に進化していき
もう元には戻れない社会情勢。
この状況下で、神にすがること自体なんかおかしくないか?
詣でる意味はなんだ?
それで救われるものって、
逆に救われなかったときに当たり先に神を当てたいのか?
なんなんだ日本人って思って仕方ない。