2016-09-30

芝生

一面に芝が植えてある所。

もし自分が芝生だったらって思ったことはあるか?
なぜ、均等に切りそろえられた上に踏みつけられるのか?
人間という動物に育てられた性なのか?
でも、人間には生類憐の発想があるのに、、
人間が生きていくために、自分の犠牲は必要か?

そういうことを考え出すと、
なんか、人間の存在意義ってなんだろうって思ってならない。

2016-09-29

復活

死んだものが生き返ること。よみがえること。蘇生(そせい)。
医学が発達したために、死について誤診がなされなくなったので
復活の意味はこう使わない。
今はいったん廃止したものなどを再びもとの状態に戻すことといえる。

とはいえ、復活とはそんな重い意味ではなく、簡単につかるようになっている。
それだけ、言葉の意味が軽くなったと言わざる負えない。
本来の奇跡、尊い意味は時代とともに失われて、いつでも復活できるというのは
言葉の重み、、、正しい日本語のという概念そのものも意味低下に思えてならない。

2016-09-28

一秒

一般人が把握できる時間の最小単位といえる。
しかし、時代は変わり、その秒単位すら長く遅く感じるようになってきている。
早いことに越したことはないが、あまりにも早くなっていて
制御不能になっていることが多い昨今。
一秒より短い時間感覚をこれからも求めることに
少し懐疑な思いを持つべきではないかと思うことが多い。
早いことは重要だが、その速さに伴う判断力やリカバリバッファを
計算できないで無責任に権利の主張をする人間にはその速さ相当にペナルティーを
考えないのは不平等と思うのはいけないことなのかなあ?

2016-09-26

絶妙

この上なく巧みなこと。
ってどういうこと?
あまりにも主観的、直感すぎて理解できない。

定性的な表現と言われれば、そうかもしれないが
これを認めることは、表現力、適正評価できない表れに感じてしまう。

それだけ、人間の感覚など評価に値しないと斜に構えてしまうのは
考えが曲がっているから?
というより、現代があまりにも愚かすぎるのでは?

平和

戦争や内戦で社会が乱れていない状態であり、
異化して、安寧な状態とされる。

広義の意味で平和に言及をあえて避けるが、
仕事場という公の場は平和であるべきだろうか?
暴力によるダメージはないが、
誹謗や罵声、責任転嫁で多くの人が精神を病んでしまうことは
平和といえるか?
逆に殴り合って、相手の言分や押しどころ、引きどころに気づくほうが
よっぽど建設的で、、、平和になっていると僕は思う。

太平洋戦争敗戦後70年過ぎている。
70年って大政奉還から第二次世界大戦までというとてもない長い期間に等しい。
生活、価値観が変わるには十分な時間あったといえる。
平和の概念も変えるべきだと思うがね。

人を追い詰めるのは、殺人させる凶器ではなく
身近な言葉と地位になっている事実とその罪悪感を意識させることが
結構大きな問題と僕は悟っているだけにね。

2016-09-23

冷血

人間らしい温情に欠けていること。
、、、、それって、負け犬の遠吠えに感じない??

つまり、自分が相手にされていないことに対して
吐き捨てるように言い出す言葉といえる。

相手からすれば、その人間を相手にすることに
利や情を感じられないから、そう接してしまうといえる。
つまり、自分が人間としての価値を持っていないという事実がある。

冷血とはある意味、逆で
当人が、人間らしい、他人に評価、興味を示してもらう’血’がないからだといえる。

こういう事実を考えないで発言する輩を、
愚かな庶民に感じてならない。

2016-09-21

誤報

誤った情報や報告、および報道。
多くの人が勘違いしているのが、誤報などないということだ。
「間違っているのだから、誤報だ」
と言い張るが、それがなぜ誤報といえるのか?
その情報を正しいと思って配信することはある意味、表現の自由であり、
当人が正しいと思っていれば、それは誤報とはいえない。
そして、それを誤報と強制するのは
個人の表現の自由への抑圧でしかない。

確かに主観的にそれは誤報かもしれない。
それでその情報ソースを責めるのは、、、
それより、その情報ソースをもう信じないとするほうが正しいといえる。

関西の人がいう、
「まずいなら、まずいとおしえてあげなきゃ。」
そんな他人への関与、、うっとおしいとしか僕には感じられないだけにね。

2016-09-20

大衆

多くの人。民衆。特に、労働者・農民など、一般の勤労階級。
民主主義は、大衆を意識した政治体制ともいえる。
、、、、だから腐敗していると思わないか?
~指示待ち
~被害妄想
~局面的自己利益主義
と、全体最適、未来志向が大きく欠けている人間の発想でしかない。
そして、ちょっとでも逸脱、新たな価値観を持ってくるものなら
理由をつけてその人間をつぶす、出る杭は打たれる論理で。

僕は民主主義を否定している。
その発想が今まで僕にとって何か利益を生む出したか?
それは決してない、仮にあったとしても、
その後に無責任な人間からの責任のなすりつけがついてきた。

民主主義なんかより、人間の本能を刺激することが今求められている。
快楽
自尊
などを満足させることが必要であり、
そして、人、、、とりわけ大衆を従わせるものは、、、本能で一番効果的なのは
恐怖さ。
この事実をうまく使いこなすことがこれからの時代のあるべき覇者と僕は悟り
その活用方法をいつも考えているのが、最近の思いである。

みんな幸せを目指す大衆は
そういいながら、あいつ死ねばいいと隠している今の社会なんかより
表立って、死にますよっていう社会のほうが断然あるべき姿と思うのでね。

2016-09-16

公示

一定の事柄を周知させるため、公衆が知ることのできる状態に置くこと。
公共機関、、国家機関の公示方法って公示ではないって思う。
公共機関としては、上記定義に基づいて、知ることができるようにしているのだから
公示しているというが、現代社会そんな発想だと
「聞いていない」
「自分らにわかりやすくしていないほうが問題だ」
っていう意見が民意となっているのだから、そこを無視してはならないといえる。

公共機関は権力を持っている。その権力を使って
~民意に応えるように動くか
~民意を弾圧して、強制させる
をしないとならないと思うのだが
現在、権力的に無視しているように感じてしまう。

権力を使いこなしていないことは怠慢だと思うがそこは期待しすぎなのかなあ??



2016-09-15

御髪

高貴な人の髪の毛、、
読みを おぐし という。
髪を くし とは読まない。

僕は日本言語学に問いたい。
御髪
御門
は、高貴な存在を指すときに間接表現することが
日本語の特徴ではないかと。

つまりは
髪を梳く櫛を指して、高貴な人の髪を表し
大きな豪邸、それゆえ、立派な門をもつ人、、なので、御門、、帝をさしている。

この間接示唆、隠喩表現を徹底することが
真の敬語、日本語のすばらしさって学校の授業でやらないのは、、
日本の教育指針をだす、文部科学省がバカだとしか思えないがね。

2016-09-14

心拍

一定の時間内に心臓が拍動すること。
有名な話で、像もネズミも一生の心拍数は15億回位と同じとされている。
そのドッキンがどのくらいの感覚かが、寿命だといえる。
とすると、驚いたり、緊張することは、、本当に寿命が縮まるということか!
昔の人って科学的立証前に正しいことを言っていることが多く、
なぜ知りえたか、そここそ不思議でならない。

2016-09-13

棲息

生息のことで、正式にはこっちが正しく、
現在の生息はある意味、常用漢字の当て字にすぎない。
そのため、生きていることを主に考えてしまうが
正しい棲息の意味からは、同棲の棲の時から、住んでいることが本来の意味。
正しい意味なんてものはどんどん変わるというしかないだけに
今後、日本語をどう理解して、どう伝えていくかが
あまり考えていないくせに、国語の試験がある社会って
おかしく、、バカらしく思ってしまう。

2016-09-12

発狂

精神に異常を来すこと。気が狂うこと。
言葉の定義はそうだが、実際の用法は怒るに近い。

精神の異常
気が狂う
というが、どの状態がそうなのか?
あまりにも定義が曖昧すぎる。

逆に考えると、一昔前は精神が安定していたから
少しでも精神がぶれるとこんな表現が使われたのではないか?

現代はあまりにも人の精神、気持ちの変動が大きい。
それがストレスや社会問題の起因なのかも。
昔のように精神が穏やかだが、娯楽も生活が豊かでないのと
今のように、精神がおかしくなるリスクのも、娯楽や生活が豊かなのと
どっとが幸せなんだろうか??

2016-09-09

本分

人が本来尽くすべきつとめ。
、、、、というがこの言葉は限定的なステレオタイプ

学生の本分は勉学

でしか使わない。

現代社会は、限定した用途を好まない。
なんでもできる可能性を持つことが尊ばれる。

、、、となると、、学生は可能性の象徴なのに、本分が勉学といいきるのは
現代社会においておかしくないか?

これもまた、現代人の愚かしさで
自分の思い込みの定義でないと不安になる。
自分には可能性
他人には確定した定義の固執
これゆえ、人間社会のストレスが消えないといえる。
まー、こういう業に抗うのが、人間の本分なのかもね。

2016-09-08

混然

すべてがとけ合って区別がないさま。
英語で言えば、chaosといえよう。
chaosは、混沌の意味があり、
善悪の判別がない状態といえる。

善悪がないというのは無秩序とされるが、
現代社会もそう、、混然のようなものだ。

自分の正義は必ずしも他人の正義ではないどころか
相手からすれば、悪だったりする。
何が正しく、何が悪いか、
混然一体の社会といえよう。

もっとも、善悪がしっかりした社会は
洗脳された社会で個性や新規アイデアなんて生まれないのもまたなのだがね。

2016-09-07

投機

短期的な価格変動の目論見から、利ざやを得ようとする行為。
もともとは禅の仏教用語であり、師弟の心機が投合することを言う。

投機は投げるという言葉から1wayつまり、一通であり、
結果的に大きなもの化けてくるか、もしくはそのままなくなってしまうかもしれない。
投機と反対は貯蓄ともいえる。

最近の現代人は投機行為と貯蓄行為の判断ができない。
投機なのに、元本保証がないだの言い出す始末。
言えば通じるという思いがあるのだが、僕からすれば自分の間違いの正当化で
はっきり言えば、生きる価値がないくらい見苦しい。
投機の失敗からいろいろと学ぶことが人間性の向上だと思うが
その概念がなくなっている現代市場経済らしき社会って本当にあるべき社会なんだろうか?
って思ってならない。

2016-09-06

会談

面会して話しあうこと。その話しあい。
庶民同士での会話を会談とは言わないので
大物、権力者同士のときに使う。

会談で決まるとかいうが、本当か?
基本話し合いで決まっているのではなく、
その前後に金銭、生命のやり取りの結果が会談ではないだろうか?

なぜ人間は話し合いで決まると思い込むのか?
その祈り、その勘違いが今の社会の不公正、戦争がなくならないでは?
話し合いでかみ合わないのだから、不満が戦争になる。
話し合わず、殺せば不満も戦争もないという極論が真実だったりするのに、、

2016-09-05

忸怩

深く恥じ入るさま。
なんか現代人は、悔しがる憤るといった使い方をしているようだが、
実の意味では、恥ずかしい様である。

派生して、
喧喧諤諤(けんけんがくかく)な議論とかいうが
「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」=大勢の人がやかましく騒ぎたてるさま
「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」=正しいと思うことを堂々と主張するさま
を混ざって言っていて、使っている人は忸怩たる思いをしてほしい表現。

言葉は進化するとか、変わっていくというが、
間違って使うことに忸怩たる思いをしない愚者によって
正解が歪まれる、、ある意味悪しきことではないかって人間を見下してしまう。


2016-09-02

改革

制度などを改め変えること。
改革
改善
改良
などの改という文字が多く使われている。

多くの人は良くなると思って使うが
現実問題、必ずしも良くなるとは限らない。
しかし、面白いもので建前としては良くなったと言わざる負えない。

改革なんてものはいわば、
新しい権力者が自分の権力を濫用するためのものということなのだがね。

2016-09-01

斥候

敵軍の動静・地形などをひそかに探り監視するために、部隊から差し向ける(少数の)兵。
近代戦術において、斥候の地位は高いはずなのだが、
軽視されやすいのが、現代人の認識の甘さ。

孫子いわく
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。」
相手と自分の状況を知ることが
最適化された対応ができる。

そのために、斥候としての調査コストが重要である。

しかし、何も物理的な成果物が伴わないから評価しないという発想も根強く、
それゆえの経営停滞がよく見受けられる。

いいものを作れれば売れるという発想ではなく
何が売れるかを調べてから売れるものを作るという発想に
固執する人たちを見ると溜息しかでないよ。