個人的なひそかな恨み、
または心中ひそかに恨むこと、その恨み
こう書くとなんか悪い表現に感じるが
大義、昔年の思い
の多くは私恨ではないか!
・曾我兄弟の仇討ち
・忠臣蔵
などの未だに語り継がれることは私恨の結果ではないか!
私恨がモチベーションでその人が成長するのでは
~バカにされたから
~あいつなんかより
~自分のほうがいいって見返してやる
なんて思うことを否定するのはなんかおかしくないか?
こういう思いを
一年の抱負にすることがあってもいいのでは?
だって、どっかの大統領なんかそれで当選してんじゃん。
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