同じ意味で、
教祖
預言者
地上代行者
などあり、最近では
天台座主を指す意味になりつつある。
人間、自分たちは違うから
別の呼称を求めるもの。
もともとは
貫主で統一されていた表現であっても
自分たちのオリジナリティー、優位性を示すために呼称を変える。
人間は他人には標準化をもとめるくせ、
自分にはオリジナリティー、、自分らしさを求めるからこそ
認識の相違、争いになるんだろうな。
まーー、だから、平和とか尊重なんてものは
人間どもに期待すべきはないのに、、
それでも求めるのは業でしか感じないな。
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