善人とみなすこと。
江戸時代の浮世絵や絵本草子の挿絵で
善人は◯を顔として、そこに善の一字を描いて善玉、
悪人は同様に悪の一字を描いて悪玉と表現
したことに由来している。
そこから派生しているのだが、
そもそも善悪の定義そのものが庶民認識でおかしいから
いろいろな抗争になると考える。
善悪は前提条件と枠組みが定義されて成り立つもので
不変的な善なんてものはあり得ない。
その絵画のテーマにおいての善悪
この組織内においての善悪
であり、現行社会においての善悪とは同義ではない。
、、、例を出そう。
西部劇では、白人がインディアンといわれる野蛮な人に襲われ
それを倒す劇でしかなく、その作中では白人は善だが、
現実社会において、ネイティブアメリカンをインディアンと呼び
彼らの神聖な土地や家畜を強奪したからそれを取り返そうとした
彼らを虐殺した、、悪そのものが白人である。
どうも日本人は一義的に思い込みで善悪を判断、、いや判断ではなく
思い込みが強いので、真の意味での善悪がわからなさすぎ、、
というか、それ自体で人間としてカテゴリでは悪玉そのものだろうね。
2022-08-26
善玉
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