いい方法はないかと胸を痛めること。
苦慮をしている状態って良くないのでは?
その本分が苦痛ということは
~その人が考えられない状況であること
よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
上位の者が下位の者に、物事をするに当たっての心得を教え示すこと
現代社会ではこういう行為は権威を振りかざすこと、
つまりパワーハラスメントとみなされる。
でも思う。パワーハラスメントを認めるということは
秩序、統治の否定
敬意、謙譲の無理解
を促進し、今までの日本らしさ、組織力をも否定していることになる。
それは、日本の好きなモノづくり日本は辞めようって言っていることなのだが
バカはそうじゃないと根拠のない発言を騒ぎ立て
結果、モノづくりではなく、技術は他国企業との提携ばかりになっている。
訓示のように敬意をもって人の話に対して
耳を傾ける姿勢による敬意の念
それを対してわざわざ自分ごときにという謙譲の念で真剣に伝える
それが技術の伝承でもあったのでは?!
善人とみなすこと。
江戸時代の浮世絵や絵本草子の挿絵で
善人は◯を顔として、そこに善の一字を描いて善玉、
悪人は同様に悪の一字を描いて悪玉と表現
したことに由来している。
そこから派生しているのだが、
そもそも善悪の定義そのものが庶民認識でおかしいから
いろいろな抗争になると考える。
善悪は前提条件と枠組みが定義されて成り立つもので
不変的な善なんてものはあり得ない。
その絵画のテーマにおいての善悪
この組織内においての善悪
であり、現行社会においての善悪とは同義ではない。
、、、例を出そう。
西部劇では、白人がインディアンといわれる野蛮な人に襲われ
それを倒す劇でしかなく、その作中では白人は善だが、
現実社会において、ネイティブアメリカンをインディアンと呼び
彼らの神聖な土地や家畜を強奪したからそれを取り返そうとした
彼らを虐殺した、、悪そのものが白人である。
どうも日本人は一義的に思い込みで善悪を判断、、いや判断ではなく
思い込みが強いので、真の意味での善悪がわからなさすぎ、、
というか、それ自体で人間としてカテゴリでは悪玉そのものだろうね。
ひろく平等に愛すること。
好き嫌いに隔たりなく愛する思い。
例え、自分を嫌っているとしても、、、、、??
新興、革命児に対して世間、庶民は冷ややかだ。
「お前なんかに出来るわけない」
「やってみせろ、出来たら従ってやるよ」
なんて馬鹿にする。
しかし、この世の中、
ちょっと力のかけ方を変えれば案外できてしまうことばかりだ。
だから、不可能と見くびっていたものが現実化する。
上記のように言っていた輩はそこまで言ったんだから屈服すべきなのだが、
そうではない
「変なことしやがって、ふざけるな」
「従う?、バカか、俺の生活を壊しやがって、賠償しろ!」
っと決して相いることはない。
初めから、、そして、結果を出しても仲良くなれないことを分かっているのだから
下手に媚びることはないどころか
自分にとって邪魔なものは早々に消してしまうべきではないかな?
博愛とかいう精神は自分の認めるもの以外は滅ぼし
残ったものを愛おしむことだろう。
これはフランス革命であれだけ殺戮を繰り返しているのに
博愛って言っていることから歴史が物語っていることなのだ。
会話を円滑にし、良好な人間関係を築くための技術
どんなスキルよりこれに尽きる。
~専門家の意見
~指導者の指導
~担当官への相談
など
その立場になっている以上、
頼られれば、適切に答えるべきなのだが、
相手側が理解できるような話し方、話術を知らないと
全く伝わらない=答えていない でしかない。
昭和期までは、言葉ではなく感じろと言われ
現在は、説明能力を問われるのに、、話術がないくせにその立場を使って
「なんで理解できないのか、あいつが無能だ」
と自己主張をしたがる。
いろいろな地位を得るためにスキルも重要だが
話術は最低限、いやその前提でスキルを求めるべきか?
その話術の典型例は、、ナチスのヒトラー、、
ヒトラーが悪いと一方的に言い出す輩は彼の話術に遠く及ばない。
なぜスキルが低いはずのヒトラーがあの地位まで上りつめたのか
そこから得られるものを分析する、説明することが
現代社会ではかなり重要なのでは?
物事の是非が明らかになること。
というが、、現代における弁明は
後付け
言い訳
でしかない。
事実の立証より、その結果がなるべくしてなったという自負
自己責任ではないという言い訳
ばかりになっている。
弁明というものを当事者にさせる自白制度の考え方はもうやめるべきだ。
実際問題、交通事故において弁明はドライブレコーダーにより
意味がないととなり、はっきり言えば、AIで自動的査定までできてしまう
時代になった。
この発想から、すべての人間の監視ログを常時有効させて
下手な思い込みを一切抑止する公正な判断ができると思う。
もっとも、、人間性とか言い出す輩をまず処分する前提にはなるが、
重油、ガソリンなどの燃料が気筒(シリンダー)の内部で爆発燃焼すること。
歴史的にこれまで発動機とみなされていたものがほとんどが
内燃機関だ。
ゆえに、、最近まで内燃機関なんて言葉すら日常ではないかった。
しかし、脱炭素、電動化の社会になり、その表現のアンチテーゼとして
内燃機関という表現を使うようになってきた。
産業革命後、ずっと社会を支えてきた内燃機関。
個々で廃れる?そんなわけはないという言葉もあるが、
産業革命後の今、それまで普通に駆けていた馬車が全くなくなったことから
あながち、内燃機関が日常から消えるもの、、
なんせ、、このブログを書き始めて以来
僕はオール電化に引っ越してきているので、、自宅で火を使っていない。
そうもう14年間も、、、このブログも14年か、、