祭りの儀式。また単に、祭り
平和の祭典である、、五輪、、「五輪」については、すでに過去述べている。
近代五輪が平和の祭典というならば
現代五輪は誹謗中傷の祭典であろう。
マスコミ、SNSで選手、主催者への誹謗中傷、その誹謗中傷への対抗意見で
炎上、祭り状態。
国際的な平和とは程遠く、国際的な問題の火種でしかない。
COVID禍の中の開催を抜きにして
科学技術の発展の反対にあるスポーツ肉体の祭典である五輪は
本当にあるべきか?
そこにかけている人間の人生というが
祭りに人生をかけるテキヤ人生を容認する社会ってどうなの?
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