仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段。
本日更新ということもあり、有名な「嘘も方便」をネタにしたい。
現代において、嘘は嘘だろうか?
高速化した情報が飛び交う現代では
今知っている情報と数分、数秒後の情報はUPDATEされている。
すると、今知っている情報をもとに発言した時点で過去、、つまり真実ではない、
嘘の情報を流したことみなされることになる。
当人は正しいと思っていることも、他人、社会からは嘘とみなされることになる。
そして、最悪なのは嘘だと断定し続けることで徹底すべき社会姿勢を貫かず
過去の古い間違った情報を流した者を擁護する行動を起こすから
間違っているのか、正しいのか、全くわからない状況になって
何が正確な情報なのか、分かりづらいといえる。
また高度技術、複雑な事情を聴いて
理解できないほうが悪いのではなく、
それをわかりやすいように伝えないほうが悪いとなる以上、
詳細に伝えてもどうせわかるわけないからある種の方便として
適当に言えばいいとなりかねない。
それゆえに、、正確ではない嘘に近い情報で済まそうと言う思いもでてきている。
嘘も方便、、、、
それが方便なのかどうかは、
その内容が真意かどうか当人が自分で理解することしかない。
情報社会だからこそ、知っているではなく、
情報処理する能力があなたの人生のウソ発見器と言えよう。
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