2019-03-29

写本

書き写した本。また、本を書き写すこと。
中世まで当たり前のようにされていた写本。
それにより、知識が世の中に広く広がる行為であった。
しかし、産業革命後だと、欧米とアジアでは逆の価値観になった。
欧米では産業革命以降の活版印刷の登場で
写本が知的活動から商業行為になった。
それに伴い、知的財産という概念が生まれ、写本は窃盗という罪になった。
対してアジア、とりわけ仏教圏では
正本を写本、写経すること、行為そのものに価値が生まれてきた。
日本でも写経から派生した習字という
写本の一部の文字を書き写す行為を良しとしている。
そして、きれいに文字で書かれたものが写本される対象になることは
誉であるのがアジアの価値観でもある。

欧米とアジアとの価値観の違いは
今では欧米のほうが正しく、知的財産権と騒いでいる。
しかし、この先、、いつまで欧米の価値観が通じるだろうか?
なんか、、写本のいきさつを知るだけに、、
知的財産権そのものの将来が危うく感じることがある。

2019-03-28

造反

身内や仲間をうらぎること。また、たてついたり、反乱を起こしたりすること。
何をもって造反か?
今までの悪事をしてきた慣習に反することが造反になったり
押さえつけられてきた人間が意思を持つことも造反になる。
造反という言葉自体、
上から目線、既得権益の保守を正しいとみなす文化、価値傾向がに感じる。
この言葉自体の衰退するということが
社会の進化となるとともに、もう二度と
団結に価値を求めてはならないと分岐点になると感じる。

2019-03-27

諭旨

趣旨をさとし告げること。言い聞かせること。
諭旨解雇、諭旨退職、諭旨免官など、相手の地位をなくさせるときに使う。
現在の使い方としては、一応当人に説明のうえ、身を引かせたという意味で使う。
懲戒より緩いとされるが、扱いとして権威の下で裁決。
諭旨も懲戒も基本、すでに結果は決まっている。
それを言われる当人が納得しているか、抗おうと思うかだけである。
個人主義やら働き方ならで正当な理由をいわなくてはならない社会だが、
正当性かどうかは言われる当人の思い込みでしかなく、
それがどうであれ、結果を押し通す力、それが権力、武力、財力がないと
現代社会ではなかなか生きづらく、ネットなどで吊し上げになってしまう。
だからだといる。個人主義になればなるほど他人を圧する力が求められるゆえ、
いろいろな意味での貧富の差がどんどん広がるのではっと悟ってしまう。

2019-03-26

論点

議論の中心となる問題点。
ビジネス書や自己啓発本などに書いている論点整理の重要性。
そして、論点すり替えに惑わされるなって書いてある。
だからこそ、言おう。
論点のすり替えと思うこと自体、自己本位な発想であるということ。
自分が思っていることが正当、本質と思っているものでも
価値観や思想が違う他人からすれば、論じるべきことではないと思うことが多い。
そんな馬鹿なこんな重要な話だぞって思っていてもだ。
例えば、
あなたは人類の将来についてを論点と思っても、
相手は未来に自分は存在しないのにそんな無駄な論点より、明日の夕飯が重要だ。
人の命の尊さを語っても、戦争時には自分自身を守るためにどう相手を殺すかである。
極論とかいうが、人間個々人の考えそのものが他人からすれば個人の発想という
極論でしかない。
どうも、公明正大に自分が正しいと言い張る性悪なバカが多くて困る。
基本的に人間の性悪の自覚をもっていかに自分の見解を通すかの策を練ることが社会活動ではないのか?その手段として、互いに共感できそうなポイントを論点というカタチで使うべきなのに。

2019-03-25

研修

執務能力を高めるため特別に学習すること。

「バイトテロがあったので、バイトの研修を行います。」
バカか。
そういう研修を行ったときに真面目に参加する人間はそもそもテロ行為を行わない。
逆になぜバカなテロ野郎の失態のために、
自分たちはこんな研修を行わなくてはならないのか!
って、企業に不信感を募らせるだけである。
それでまた優秀な人材が離職してしまうという結果しか生まない。

基本、人間を信じるな。
「人を見たら泥棒と思え」
という格言があることを人間は忘れて、絆とかいうから裏切られる。
人を信じないなんてという人はひどい。
これもまたバカ丸出しだ。
信じない、、だからこそ裏切られるという感覚も起きない。
そして信じないからこそ、リスクを最小限にするための行動
敬語、敬意、譲歩を導けるのである。

平成以前くらいの社会と現代社会において
何がよくなり
何が失われた
を考えれば、なるほどって僕は簡単にわかるのだが
やはり現代人はそのあたりの感覚すら失ってしまっているようだ。

2019-03-22

素封

大金持ち。
この意味は
素とはむなしい、封とは領地
むなしい領地と直訳になるが、それがお金持ちと意味になる。
なんと難しい言葉だろうか!
領地はないけど、家、、つまり繁栄しているからそういう意味になるらしい。
と考えると、現代社会はほぼ素封家を増やす社会構造になっているなあ。
領地
物理支配権として土地と捉えれば
それさえも金融商品になっている昨今。
別の視点、人的支配領域と捉えれば
名ばかり管理、ハラスメント訴えの日常化
から支配という概念が社会から消えてきている。

素封家が増える社会、、本当にいいのだろうか?
実支配なき統治って秩序を失うし、
素封家という言葉の真意も土地なしと皮肉での表現が語源でもあるだけに。

2019-03-20

組閣

内閣を組織すること。
要するに、行政執行機関における人選である。
そして、どこの国でもそうだが
組閣を行う行政機関のトップは直接間接で有権者に選ばれた人間だが
組閣という行政運用における人事権はそのトップに任されている。
考え方によっては
製作実施の内容が具体的であればあるほど、
有権者も誰に任せたいか選びやすいと思うかもしれないし、
そういうことを口にする人間どもも多い。
しかしだ、行政などの実務実行において重要なのは専門性ではなく
指揮命令に忠実かつ思いが通じやすいことだ。
考えてほしい、いくら優秀な人でも初対面であるよりは長く付き合っている人のほうがいい。まして、短時間で結果を求められることが多いこの結果社会なので。
となると、能力主義と言いながらもチャンスを得られるのは、やはりコネと人間関係なんだろうなと。

2019-03-19

野心

分を越える(ように見える)大きな望み・たくらみ。
でも、、英語だとambitious。
「少年を大志を抱け、Boys, be ambitious.」
大志と野心は違う。それが日本語がグローバルにならない要因だ。
実態が同じもの、、つまり、今の自分を越えたところに思いをはせるという概念に
善悪の概念をつけて区別したがる。
善は大志、悪は野心。
でもそれって、ただの偏見では?
当人は今の世界をよくするために政治家になりたいと大志を抱いても
他人から自分の立場をわからない野心を抱きやがって言われることは
どっちが善なのか?
今まで、画一的教育指導で、ほば多くの国民が共感していた道徳観が
個人主義で通じなくなっていることに対して、あまりに社会が無知すぎる。
道徳観を取り戻したいなら、個人主義を否定しろ。
個人主義を押し通すなら、善悪の概念を強要するな。
曖昧なことに寛容というバカな日本人感覚が世界的に受け入れられないところまで来ているのだから。

2019-03-18

冒険

危ないことを押し切って行うこと。成功のおぼつかないことをあえて行うこと。
この言葉の定義は、最近のもののようだ。
戦後から平成になるまでの間、平和が浸透した日本において
戦争もの、戦いもののメディア作品は社会的に認められないものだったが
人間は別途刺激が欲しいもので、その結果。冒険という言葉で彩られた
アドベンチャー作品が娯楽を席捲していたものだ。
未知へのチャレンジ、想像を超える脅威に挑むことが人間はわくわくしたものだ。
それがある種の日本の高度成長の心の支えだったのは?と思うこともある。
現代社会、冒険という作品メディアの凋落どころか、
上記のように冒険をリスクとしか思わない傾向に日本の成長はあるだろうか?

2019-03-15

介入

事件・問題などに割り込むこと。事件に強(し)いてかかわること。
経験上、意思をもって介入してくる輩がくるとかえって問題が大きくなる。
介入する以上何かの結論を目指すのだが、すでに問題に当たっている人がすでに対応していることがおおくそれとぶつかることになりやすい。
そもそも、介入すると表現をした時点でネガティブな扱いなんだよね。

2019-03-14

学校

日本人の学校感覚をみなすべきと思っている。

学校で得られるものはなんだろうか?
学力、社会生活の準備というが
それらは学校から学ぶものだろうか?

専門性の乏しい教員から学ぶより
受験の目的にあった教え方を行う予備校講師のほうが効率的である。
まして、予備校講師は市場にもまれているので
必死さが学校教員と雲泥の差がある。

そして、社会生活の準備というが
社会生活で経験しなくてもいいいじめがいつまでも続く。
いじめがなくならないのではなく
学校制度がある以上いじめは発生するという当然に結論になぜならないのか?
本当にバカらしい。
そして、学校制度がある以上
いじめの被害者が加害者を訴えても
学校という環境から加害者もまた生徒として守る立場を尊重するので
加害者を犯罪者扱いしないことも弊害以外なにものでもない。

明治政府によって発令された教育勅語。
平成も終わる今、
もう廃止すべきだと思う。

学校がなくなり、社会性がない人間が多くなるという懸念より
学校という無駄な時間といらぬ被害、加害者になりやすい環境にさらされることの危険性を
もっと真剣に理解すべきだ。

現に公立学校で起きている問題は私学では起きない事実。
それをなぜかを考えればおのずと理解できると思うが
それもわからないほど現代人のレベルが落ちてしまっているようでもあるが

2019-03-13

真水

混じり気のない水、転じて
政府が景気対策のために投じる公共事業費のうち、
その年度に実際に支出されて GNP 拡大に寄与する部分。
それも転じて、大きな組織で効果が数字として捉えること。
実際に定義できる内容ではない俗語に化している。
真水という純粋な水という意味なのに、俗で穢れた表現でいいのか?!!

2019-03-12

踏襲

それまでのやり方を受け継いで、その通りにやること。
とはいえ、行っている人間の人間関係や技術、環境が変わっているのだから
踏襲ということはありえない。はっきり言えば、踏襲すると言い放って
他者からの不安を一掃させるおまじないでしかないと感じてしまうのだが
多くにひとはこのおまじないを信じて嫌な思いを繰り返す。
踏襲するということをある意味、現行維持がゴールであって
今までの行ってきたことをより改善していくという話ではないことを
もっと意識して他者と接するべきなんだろうな。

2019-03-11

蜜柑

みかんである。
日本人ならほぼみかんという単語で共通した果物を連想できるほど、知名度がある。
でも、みかんは日本の果物でしかない。
だから、みかんをorangeって訳すことがあるが意味合いが通じないことが多い。
それは逐語訳の意味だけでなく
~旬
~味わい
~食べられているシチュエーション
が日本すぎるくらいの扱いをうけているだけに、外国人には通じない。

英語などの外国語ができる人ほど
日本語の意味を中途半端に伝えることが目立つ。
考えてみれば、ニンジャ、ゲイシャ、スシって
日本を理解しきれていない通訳が訳した結果が今に至るのだから
これは日本のグローバル化への障壁、命題かもね。

2019-03-08

手配

仕事などの段取りをつけること。手くばり。準備。
ビジネスとして発注、オーダーされてから行うことはまず手配だろう。
モノ、人を手配しないとビジネスとして結果がだせない。
しかしだ。現時点、その手配ができない。
人手不足、品質の劣化、顧客クレーム対応などなど。
だからプラットフォームやサブスクリプションなどで
特定の手配活動をしないビジネスが増えている。
確かにその発想による対応はビジネスとしてある種の選択だが、
それはゼロサムそしてすたれやすい。
なぜなら、画一的なサービスに人は飽きやすい。
また個別発注の手配が全盛期になると感じ、今の活動を粛々と準備あてようっと。

2019-03-07

無人

人の存在がないこと。
ある意味、現代のブームといえる。
人手不足による無人対応の需要が高いとか
何処でも行ける、見えるようになったからこそ、無人島のような人が介していない場所が観光名所になる。
、、、、人との絆とか言いながら、無人を求めるなんて、
現代人ってどこまで異常な感覚なんだろうか?

2019-03-06

末梢

すえ。末端。特に、物事の重要でない細部。
とは言ってられない。
抹消とされていた事象、データに目を向けることで
大局を見出すことにつながるのがビッグデータ、
そしてAIなどのデータサイエンスの世界。
大局を見据えてとか言い出していたが
実際問題は個々の些細な事象をすべて理解したうえで考える時代になっている。
抹消という概念にこだわることで対局がとか言っていた旧世代とのジェネレーションギャップは余計大きくなるんだろうな。

2019-03-05

旋風

渦巻き状の風。竜巻より小規模のものをいう。つむじ風。つじ風が転じて、
社会の反響を呼ぶような突発的な出来事となっている。
些細なことでも旋風になりやすいネット社会。
ということはある程度たつとその旋風はただの一過性の旋風にすぎないと思われやすいともいえる。
そう考えると、現代社会の多くのことは一過性の流行り病のことばかりで騒いでいるだけではないだろうかって思うことばかりだ。
逆に、身を入れて取り組む必要があることってなんだろうか?

2019-03-04

当然

述べる事柄が、だれが考えてもそうであるはずだという意を表す時に使う語。
この考え方がもう当然ではなく、当然という発想が社会問題だといえる。
自分たちの価値観を当然とすると、そうでない価値観の人たちとしては異常のはず。
当然という思いを異常とみなされると自分の認識、存在価値の否定に感じるのでそれを攻撃とみなして価値観違いを否定する。
これだけ、多種民族を認め、個人主義を尊重すると認めた以上、
当然とかルールなど通じるわけないことが’当然ではなくこと’を認めず、
’当然’がわからない他者を攻撃することが’当然’になっていることは
社会としてもう破綻状態なのでは?

2019-03-01

据置

固定して動かさないさま。
じっとしていることに価値があるといえる。
何もしない、何も触れない
シングルモルトのような状態に価値がある。
とかく、現代社会は流動であることが正しいとされるし
それが経済を回している。
しかし、動かない、不動である据置がかえって普遍的な価値軸を生み出しているのかもしれない。
まー流動性が活発だからこそ目立つ価値ではあるが。