志や目標がまだ達成されていないこと
というならば、志や目的の具体的な設定はされているのだろうか?
定量的とか数字にすべきと口にして、
ゴール設定を数字に変えたしまった時点で
道や目的が異化されてしまったのではないかと感じてしまう。
僕から言わせてもらえれば、これに違和感を感じずに行動している人が
人ではないただのヒューマノイドというオブジェクトに思えてしまう。
志とか目標というものは手の届かない、数字では表せれないもの、イデアの概念として扱えずに
ただリアリズムで置き換えている現代にブレイクスルーや斬新な変革など起こりようがないと
結論づけることになぜ批判されてしまうのか?
現代社会の愚かしさに呆れるともに、人間という存在そのものの変革は自発的にはできないんだろうなって
こともわかってしまった。
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