その道にすぐれていること、満ち足りて十分なこと、
2つの意味をもつ。体言的には前述、用言的には後述といえる。
能力に堪えられる、
この堪えられるは、可能性の堪えるである。
それぞれの認める基準に達しているかどうかを堪能ということから
この言葉から、日本人って主観的で曖昧な定性的な基準でものを見ていたといえる。
しかし、、日本人は個々ではなく、集団的、社会的な行動を主是にしていただけに
言わずものがな、、の基準があったともいえる。
やはり、時代とともに日本語、その表現意識も変わっているのだろうな。
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