2017-06-26

夜宴

夜の宴。
宴という言葉はほぼ私語で、今は飲み会っていうのだろうな。
古来、人間はハレの日を意識して、そのハレの日を
祭り、宴と称して日頃できないことに興じていた。
そういうことがあるから、ある意味、艱難辛苦にも耐えられたし
そして、ハレのだからいろいろと無礼講でなんでもできた。
男女の色恋もそのハレの日が中心に行われることが多かったといえる。

まー、人間も動物、サカリがつくのは当然である。
しかし、なんだな。
人は文明の高度化、欲求の増長から
毎日がそういうハレの日になっているようである。
毎日がハレの日だから、翌日はもっとハレらしく
という思いのインフレ、行動のエスカレーションが進み
もう何がなんだか、ハレの日のために耐えるという概念すらなくなってきている。

そんな現代社会で夜宴という趣深い概念を口にしても
ただの飲み会と見なされるということなるし、
そのハレの日をゴールというモチベーションにもならないのだから
そりゃー、生産性や従順、そして人口増なんか発生しないだろうな。

統制されない社会って混沌であり、
統制されているからこそ、宴などありがたみがわかるのだから
統制抑圧って一概に悪いもの、、というか、必要な概念ではないだろうか?!
ってつくづく思うねえ。

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