2016-05-10

戦慄

恐ろしくて、ふるえること。
平和、安全が蔓延している日本においてこの感覚は禁忌になっているが、
これが研ぎ澄まされることが、危機回避能力の向上だとなぜ人間は気づかないのか?
平和であることが、正しいという思いが僕からすれば異常だ。

地球いやすべての事象に起きて、安定ということはない。
人間の思う精神の安定が平和といえるが、それが当たり前になっていることは
万物のルールに反する。
~諸行無常
~万物は流転する
古今東西、言われていることであり、平和もそのひとつの事象に過ぎない。

戦慄を覚えることが悪いことか?
戦後日本が再興できたのは、戦時中の戦慄の走る思いの体験から
それに比べれば、あの時のようになりたくないという危機回避精神の賜物といえる。
自分も含めて、その感覚を知らない世代になっているから
戦後復興のような成長が見られないともいえる。

戦慄を反面教師にする必要性は、
停滞や不満から導かれ、そしてそれが成長の起爆剤になるといえる。
そろそろ、日本も近いうちにそれを体験するときがくると僕は予見してここに記しておく。

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