2016-05-06

公表

一般に対し、おもてむきに発表すること。
今までは、それなりの手続き、金を掛けないと多くの人の自分の見解を公表できなかった。
しかし、このブログも含めて、SNSやインターネット配信は容易に公表できるようになった。
というか、私的なことも公表扱いされてしまう。
公表だから反論するという論理もまた発生してしまう。
逆に、そうでないものは反論されることがないというのはどうだろうか??

~老人は早く死ね
~子供は黙らせろ
とか表現をインターネット上で書くとそれは公表となり、反論で炎上が起きたりする。
それに対して、反論している人たちが私生活で
~年寄はどいていろ
~電車の中に子供を連れてくるな
とか平気で言い出している。その発言にクレームをつけると
口論になり、クレームをつけたほうが名誉棄損とか言い出す始末。

僕は思う。
現代社会の表現の自由は、、、もはやあるべき姿ではない。
つまり、表現という公表性の公民的でない以上、すでに意味がない。
秩序のない自由はただの混沌であり、混沌とは無秩序で自由などない前社会的な状態。
結果的に社会性を失った現代社会に公表の意味はあるだろうか?
むしろ、発言の責任性を全面的に命をかけるくらいの統制力が今後必要になってくることが
これからのあるべき姿に感じてきている。

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