2011-02-01

名刺

英語で言えば、visiting card.
会社、組織に入れば、
多くの場合、自分の名前の分を数十枚以上の単位で渡される。

既存の会社に入社すれば
当たり前のようなものでも、
いざ創業となるとかなり手間取ったものだ。

訪問する際に自己証明のために名刺は必要。
でもその中身に、連絡先がなくてはならない。
その連絡先である、
事務所
電話番号回線
メールアドレス
を設定する際の挨拶訪問の際に
どうすればいいのか?

だから、僕は計4回名刺を新設した。

・ドメイン、メールアドレス取得時
・事務所開設時
・電話回線は敷いたとき
・会社ロゴができたとき

普通の会社員では経験しなくていいことかもしれないが
法人を立ち上げるにあたっては
いろいろとphaseごとに無駄なことをしていかなくてはならない。

一見すると無駄なのだが、
その時点においてはそれは必要であり
そのIdentifyなくてしては、Businessが進まなかったこともあるので、
今となっては、無駄だったなあって思うより
出世魚、脱皮のようなものと捉えるようにしている。

2011-01-31

乾燥

あまり意識していなかったが
乾燥のせいで病んでいることがわかった。
それも、生活環境を改善したことによるということだ。

生家からマンションに引越して、生活環境を良くした。
古い木造の生家より
気密性の高い先端技術マンション
これにより、生活環境は良くなったと思っていたが、
代償があった。

引越してから、
すぐ鼻血がでたり、喉が渇く。
なぜか解らなかったが、病院で言われたのは

「気密性が高いからこそ、乾燥しやすい。
 まして、木造で通気性の高い住まいからの移住では
 その差が大きいのでは?」

すぐには気付かなかったことだが、数年してやっと気付いた。
認識なくても、体に症状がでているのか。

そう考えると、
自分の生業としている、業務改善行為。
見た目や目的達成により成功に見えても
成功ゆえに起きる弊害が、認識しないうちに忍び寄っていることもあるんだなあって
身をもって感じた次第である。

2011-01-28

統帥

指導、
指揮、
管理、
等の言葉でマネージメントを説く話は
僕にとってはもう飽きた。
この先、10年は’統帥’だと僕は悟り、確信している。

軍事思想かよ?
って思っている輩は自分が使っている横文字の意味を理解しているだろうか?
プロジェクト
WBS
タスク
ミッション
それらの言葉はすべて軍事用語からの、、いわば天下り言語である。
現代社会の多くの組織管理用語は軍事管理から降りてきている。
人間が一番組織立てて動き、結果を出すのは軍事行為であることに
日本人は気づかな過ぎの感がある。

個性を尊重して、組織を大きくする。
という標語を聞くけど、
そんなのできるわけがない。
もし成功したと豪語する企業をよくみてみよう。
それは、統帥の結果である。

トップが決めたことを忠実にしたの人間が行った結果であり、
自分の個性=トップからのミッション遂行が
すり替わってきているからである。
いろいろと反論もあるだろうが、
これがこの先もとめられる、人材管理といえる。

現に、目的をもって組織に入る存在は本当にいるだろうか?
そんな存在ならば、この個人主義の時代
独立したほうが遥かに個人主義を尊重しているのであるから。
組織に入る理由は、トップの指示を忠実に達成し
その統帥状況で陶酔できる人材が
充実感を覚えるはず、考えている。

逆に自分の意見を前面に出してくる人材を
どうにかして使いこなすという労力より
切り捨てて、指示通りの行動に喜びをもつ人材に入れ替えるほうが
かなり建設的だと思う。

トップは自分の意思を組織に浸透させる統帥力をいかに持つか
組織のものたちはその意思にどれだけ応えて、その達成感を得られるのか
それがこの先の組織運営のあり方と思う。

2011-01-27

権能

僕は権能こそ能力主義の要だと思っている。
逆に言えば、権能がはっきり機能していない組織に
能力主義は成立していないと言い切れる。

多くの庶民レベルだと
「自分は評価されていないから、何もできない」
「もっと権能をもらえれば、できるはずだ」
という発想だと思うが、こう思っている庶民には
大したことはない。

権能の不一致で一番問題なのは、
組織そのものを崩壊させることだ。

権能をもらう発想の人間レベルだと出来る抵抗は
サボタージュ、ボイコットレベルといえるが、
本当に不一致と自覚している存在は
賛同者を集めて、離反や対抗勢力になりかねない。

評価する権能を持っていると思っている側が
逆に追い落とされることになることだ。

評価する側でその人間に支えられている自覚を持っているならば
その人間に権限委譲をすべきである。
委譲を受けた人間側に問題があれば、
当人、もしくはその周りが委譲したものに陳情してくるはずである。
それにより、能力主義、委譲側の尊厳が担保されるというもの。

そもそも、能力主義を謳っている組織のトップが
いつもまでも権限を委譲しないでいることが
本当に能力主義なのかって思ってならない。

2011-01-26

時金

時は金なり
time is money.

僕はこの概念、信念、本質と捉えてならない。

訳のわからない管理職が
「時給いくらのバイトじゃないんだから、、全く、、」
という言葉を聞くが、その認識の甘さが管理職としての自覚がないといえる。

自分の報酬から、自分の時間は1時間単位でいくらなのかを
強く意識して行動すべきである。
その時給を考えれば、その行動はそれに見合うものかを
意識すれば価値観、金銭感覚が出てくる。

市場価値を意識したプロ意識とはここに尽きる。
その意識なく、
・全体として
・高い技術力
とか口にする人間は市場から淘汰、排斥される
そういう時代と感じ、行動改革を促したい。

何度も言うが、
自分はいくらなのかは、時給軸で考えて自覚してみよう。

2011-01-25

体験

身をもって経験する。
科学技術の進化、発展により
疑似体験がどんどんリアリティーを持ってきているので
本当の意味での体験が減りつつあるかもしれない。

それでは意味がない
そんなの体験ではない

という批判もあるだろう。
しかし、科学技術の進化で得られるものはそれはそれでいいことだと思う。
より人間を高みに導いていくことと肯定したい。

僕が体験について言及するとしたら
疑似でも構わないが、
体験することに積極的になれということだ。

想像がつく
わざわざ行う必要がない

と高飛車に構えることは、、、、、いや
いや、逆に、、体験をしないその人間に存在意義があるのだろうか?
体験をした、してくる意思、行動にその人間の存在意義がるというべきだろう。

体を持っているのだからこそ、
その体での感覚を体験せずして、存在意義があろうのだろうかと問いかけたい。

2011-01-24

注意

真の意味の頭の良さではないかっと思っている。
学力、博識があっても
必ず生き残ることは証明できない。
それは人間界の基準であり、
必ずしも生存、至福に直接結びつかないからだ。

しかし、注意という行為、考察は
その生存に関わる重要な要素であることは
生物全般にいえる。

天災、天敵、生命維持、物理的論理的範囲内抗争など、
自らの生命に関わることを事前に察知して
それへの対抗手段を行うこと、
逃避、対抗、防衛壁などのアクションを行う。

この注意のしかたがそれぞれの種の進化の方向性であり、
注意力のある生物が反映してきたといえる。

人類は特徴がないゆえに
注意の塊ゆえに、今日の進化があると確信しているが、
現代社会のように
安全平和、武力否定のような社会から
注意力の育成、それによる進化が導けるとは到底思えない。

危険、不安があるから
生物は注意の結果、新しい能力、進化を得られるという事実を
再認識すべきと思う。