古代中国で東の海上にある仙人が住むといわれていた仙境。
存在するようでしない土地。ある意味、極楽、理想郷、ユートピア。アバロン。
古今東西、こういう土地を心に抱いている。
人間は現世の苦悩から解放されるところを心のよりどころして生きている。
ある意味、虚地信仰ともいえるが人間がそれを抱き、信じることで
今を生き抜けるのであれば、その存在もまたあるべきものか?
逆に科学的にその存在を否定するのは、科学的立証かもしれないが
信仰の自由を迫害する人権侵害かもしれない。
2020-09-30
2020-09-29
2020-09-28
2020-09-25
2020-09-24
2020-09-23
2020-09-18
2020-09-17
理系
自然界を研究の対象とする学問。
文系、理系と対峙する言葉。
僕はこの文系、理系という分類について学生時代から
疑問で試験、就職で苦しめられた思いがある。
ちょっと考えてほしいが
証明という行為は数学で習うが
その証明の組み立て方は論理構成、、文章力ではないか!
文系には数学がなく、
理系には国語がない、
そして、日常生活では使わない英語が文理とも必須。
なんだ、この国の教育制度は、、、。
国立大学入試は多科目の試験があるのだが、
そのくらいの試験科目や総合力を養わなないとならないのでは?
そもそも、教育機関で学んだことがそのまま使えない社会なんだから
何か役に立つきっかけを多く学ばせるべきだ。
文系、理系と対峙する言葉。
僕はこの文系、理系という分類について学生時代から
疑問で試験、就職で苦しめられた思いがある。
ちょっと考えてほしいが
証明という行為は数学で習うが
その証明の組み立て方は論理構成、、文章力ではないか!
文系には数学がなく、
理系には国語がない、
そして、日常生活では使わない英語が文理とも必須。
なんだ、この国の教育制度は、、、。
国立大学入試は多科目の試験があるのだが、
そのくらいの試験科目や総合力を養わなないとならないのでは?
そもそも、教育機関で学んだことがそのまま使えない社会なんだから
何か役に立つきっかけを多く学ばせるべきだ。
2020-09-16
2020-09-15
風塵
強い風によって地表面にあるちり・ほこりや砂などが空気中に舞い上がり、
視程(見通し)が一時的に遮られる現象
転じて、
きわめて軽いもののたとえやわずらわしい俗世間。
また、こまごました雑事を指す。
経済的には風塵な価値であっても、他人や社会全体として
その活動がないと成り立たないことがある。
だからその行動を強制的に、公共財を使って行うことがあるが
それさえも強制行為だの税金無駄遣いとか言い出す民意。
実際にその行為がなくなると、何も考えていない公権力と批判するのもまた民意。
僕からすれば、民主主義、民意を聞く行為そのものが風塵でしかないんだがね。
視程(見通し)が一時的に遮られる現象
転じて、
きわめて軽いもののたとえやわずらわしい俗世間。
また、こまごました雑事を指す。
経済的には風塵な価値であっても、他人や社会全体として
その活動がないと成り立たないことがある。
だからその行動を強制的に、公共財を使って行うことがあるが
それさえも強制行為だの税金無駄遣いとか言い出す民意。
実際にその行為がなくなると、何も考えていない公権力と批判するのもまた民意。
僕からすれば、民主主義、民意を聞く行為そのものが風塵でしかないんだがね。
2020-09-14
恐慌
恐れてあわてること。
しかし、資本市場の社会になっている現代では
生産の急な低下、物価の暴落、支払不能、破産など
経済循環の支障をきたすことが多発していることをさす。
経済活動が人生ではないというか
国民の義務の一つが勤労であり、その勤労とは経済活動でないとならない。
そんな、、って思うかもしれないが、
もうひとつの義務である納税を満たすためには経済活動をしないとならない。
経済活動を伴わない勤労はある意味、趣味、ボランティアであり
それを勤労と認められるかは周辺の人たちの判断基準にされてしまう。
その判断基準が恐慌の源泉である。
経済活動を行わない人が多くなれば、
納税の義務を果たさない周囲とその結果、社会保障などで
自分の納税が使われるという憤りや無力感から恐慌的な発想になる。
恐慌は偉い人がおこすのではなく、
経済活動をしていない人が目につくと心理的に
恐れてあわてるから発生するという事実を
どれだけの人が気づいているのかなあ?
しかし、資本市場の社会になっている現代では
生産の急な低下、物価の暴落、支払不能、破産など
経済循環の支障をきたすことが多発していることをさす。
経済活動が人生ではないというか
国民の義務の一つが勤労であり、その勤労とは経済活動でないとならない。
そんな、、って思うかもしれないが、
もうひとつの義務である納税を満たすためには経済活動をしないとならない。
経済活動を伴わない勤労はある意味、趣味、ボランティアであり
それを勤労と認められるかは周辺の人たちの判断基準にされてしまう。
その判断基準が恐慌の源泉である。
経済活動を行わない人が多くなれば、
納税の義務を果たさない周囲とその結果、社会保障などで
自分の納税が使われるという憤りや無力感から恐慌的な発想になる。
恐慌は偉い人がおこすのではなく、
経済活動をしていない人が目につくと心理的に
恐れてあわてるから発生するという事実を
どれだけの人が気づいているのかなあ?
2020-09-11
2020-09-10
2020-09-09
2020-09-08
不信
信用しないこと。
信義がないこと。
要するに、対象者に対して気持ちが向かない状態。
そもそも論で言えば、自分以外に対して信じることがあるから
裏切りを思うわけだったり、いら立ちを覚える。
不信感を持つことは自己を意識すると同義だと思うが
こういうと哲学的に思われてしまう。
どうも人間は無駄に価値をつける動物のようだ。
他人を思うということに価値を感じたからこそ今の社会があるというが、
それゆえに自然破壊も永続的し続ける存在でもあるという背理も認めるべきなのに
そこは観ないことにするのはいかがなものか?
まー、人間を信じないからこそ見えている僕の眼だからこそか。。。
信義がないこと。
要するに、対象者に対して気持ちが向かない状態。
そもそも論で言えば、自分以外に対して信じることがあるから
裏切りを思うわけだったり、いら立ちを覚える。
不信感を持つことは自己を意識すると同義だと思うが
こういうと哲学的に思われてしまう。
どうも人間は無駄に価値をつける動物のようだ。
他人を思うということに価値を感じたからこそ今の社会があるというが、
それゆえに自然破壊も永続的し続ける存在でもあるという背理も認めるべきなのに
そこは観ないことにするのはいかがなものか?
まー、人間を信じないからこそ見えている僕の眼だからこそか。。。
2020-09-07
2020-09-04
2020-09-03
2020-09-02
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