2017-03-31

宿願

前々から持ち続けていた願い。
この宿願も最近はモノ消費からコト消費になっているといえる。
一昔前は、あこがれのマイホームやマイカーという形而下のモノに対しての宿願だったが
今では、地位、行為、権利になることが多い。
ちょっと哲学的な深読みすると、、
モノ消費であれば、その動産価値は身の回りに継承することもあるが
現在のコト消費は他人と共有できない。封建制度の地位ではないので
世襲がままならない。
コト消費を宿願にするということは、、まさに個人主義の具象化といえないだろうか?

2017-03-30

薄型

 厚みをより薄くした家電、電子製品。
日本の技術力の証明の象徴といえる。
小型化ではないか?って思う人が多いが
日本の思う小型化は外国では受け入れがたい。
小さすぎ、品物として実感が伴わないとまで蔑まれてものもあった。

対して、薄型は本当に評価されている。
鉄板
炭素繊維
テレビ
AV
そして、携帯電話
薄いが機能が充実していることは他の追随を許さないものとまで言えた。

しかし最近の薄型技術は技術的極限化
そして、各種コストパフォーマンスが悪くなっていることでの
マーケットシェアの低下を導いている。

これから何を薄型にするか、、それが日本の景気回復の起爆剤ではないか?
って思うのは僕だけだろうか?!

2017-03-29

英語

インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、
イギリス・イングランド地方を発祥とする言語。
世界公用語と日本は思い込んでいる。
そして、英語ができるだけでバカみたいに給料が高い国家も少ない。
英語ができるがビジネスセンスがない人間と多くあってきたが
勘違いをさせていることを指摘する逆に僕が間違っている言われる。

どうも、ビジネスと英語力を勘違いしている。
英語は手段というイメージがないらしい日本。
そして、英語ができてても変な日本語を使う現代日本人との
ビジネスは本当にやりづらいなあ。
もっとも日本人も日本語がおかしいだけに
ビジネスという定義をルーティンワークと置き換えて当分過ごそうかねえ。

2017-03-28

怠惰

すべきことをなまけて、だらしない性質・様子。
というが、怠惰とはどういう状態なのかわからない。
圧倒的な能力ですべてのすべきことを終わらして遊んでても怠惰
一生懸命行っていても結果がでなければ怠惰
つまり、管理する評価する人間にとって気に食わない人は
怠惰で片付けられてしまう。
ある意味、都合のいい言葉に思えてならないことと
能力主義において、怠惰という状態を評価することはなんか基軸と違うのでは?
って思ってしまう。

2017-03-26

版元

図書など印刷物の出版元・発行元。
現代社会でいえば、出版社といえる。
でも版元という江戸時代は、ある意味
企画、彩色、出資者も兼ねていたので、
作家でもあった。
役割分担ができていないから問題があったとされるが、、
現代社会のように、機能分担、責任分担をしすぎて
誰がどう責任反省するか見えない。

リスクを抱えて、画家、作家とともに、作品と心中するくらいの気持ちを
持たないからこそ、現代社会のビジネス、モノはつまらないのかもね。

2017-03-24

催事

デパートなどで、特別のもよおし。
集客のためのイベント。
物産展などがそれにあたるが、
消費者としては、何気なくその催事を目にするが
その催事を企画するのは本当に大変だと思う。
インパクト
協賛者
時期
などを考えて、いざやってみるとなかなか人が来ないこともあり
やって逆に赤字になることもある。
だから、最近は毎年恒例となった年次行事の催事が増えた。
まーー、無難だと思うが、それって催事なの?って思ってしまう。

2017-03-23

分解

一つのものが、
それを形作っている個々の要素的なものに分かれること。
また、そのように分けること。

一昔前は統合、結合が付加価値とされていた。
しかし、現代社会のビジネスは分解させることが付加価値になりつつある。
今日の社会情勢は複雑すぎる。
複雑すぎて、なんだかわからない。
なんだかわからないからものを解きほぐす、分解することでわかりやすくさせること
これが今、とても求められている。
統合、結合した付加価値、
それをしすぎたために分解させるのも付加価値。
社会は本当によくできているなあ。

2017-03-22

転身

主義または職業・身分などを変えること。
あくまでも、肩書役割が変わるだけで人格、能力に差異はないということ。
転身することで可能性を求めることが多いが
結局、同じ人間である以上あまり変わらないことが多い。
僕自身4度の転職を経験したけど、結局僕は僕だったと思ってならないからだ。

2017-03-21

吊上

縛って、高い所に吊るすこと。
多数で特定人物(組織)等を厳しく糾弾すること。
民主主義ゆえに起きる問題。
思うに、何をするたびに後日、吊し上げにされるということがわかったら
何もできないといえる。
吊し上げは後出しじゃんけんゆえに、
これを正とする社会は、、ただ後退しかないと庶民はわかってるのかなあ。

2017-03-17

摘要

要点を抜書きすること。その抜書き。
帳簿などで、摘要欄にいろいろと書くことがある。
システムにおいても摘要を使う。
なんでも書き残せる。

バカなんだろうな。
摘要はあくまでも抜書きであり、
真の要素、その骨子をそこにまとめて書くと
後で見返したとき、もしくは第三者に伝わらない。
自分さえわかればいいというものを書き残す意味がわからない。

摘要を書くのであれば、その要素を後で整理しやすいようにする
もしくは、そういう内容を整理した記述体系を考えることが
真の価値である。あたかも摘要欄の書き方を指南するバカが多すぎて
現代社会の真価を疑わざる負えない。

2017-03-16

大役

重大な役目・役柄。
それって、年功序列の世代の話で
能力主義の昨今では、大役というものは存在しないというべき。
逆に、大役をつけられるということは、
能力がないのに、肩書だけあがっている状態。つまり、、ダメな烙印。

役が付くということは、組織、団体において
より高権限と言われる人からその役をつけられるということで
もし上記なような烙印であれば、、、ダメな存在の継承ということ??!

2017-03-15

甲冑

主として刀剣や弓矢を用いた戦闘の際に兵士が身につける日本の伝統的な防具。
甲冑と鎧の違いは?
簡単さ。
甲は兜、冑は胴防具=鎧となる。
そして、、、だからこそ、間違いが多い。
忠誠の騎士の Full plate armor は 
鋼鉄の鎧と訳すが
鋼鉄の甲冑が正しい。

まーー、ほぼゲームの世界の話だが
和訳をするときに、いろいろと日本語の真意を理解せずに訳するので
意味がづれていることが多い。

、、、僕自身、ある有名なパッケージの日本語化に関わっていたのだが
今思えば、なんて変な訳なんだって思うことが多く、そしてそれがすでに
世間に伝播されてしまっていると、、なんか申し訳ない。

2017-03-14

乱立

多数がむやみやたらに存在すること。
でもこれって、本当に人間のわがままが表れている。
乱立していると統一してほしいと言い出す癖に
寡占に近づくと、選択肢が少ないといいだす。
本当に人間の思いって、、わがままというか、腹が立つ。
自由に存在する、、乱立することは言い換えれば、無秩序状態。
自由を規制して、一定基準で統制することは、秩序の状態。
現代社会は両方を追い求め、そして虻蜂取らずでグダグダ社会になっているのでは?

2017-03-13

古着

中古の服。
一度、誰かが着た服。
現代人って狂っているといいたい。
古着をおしゃれに着ている女が
つり革が汚くて触れないっていう。
上記のことは全く違う概念と言い張るが、、
僕からすれば、どっちにしても社会生活者との汚な存在と思う。
見た目の綺麗さや思いあがった清潔感ゆえに
慈しみや他社への配慮という心が汚れていることに
軽視されるのはいかがなものか?

古着をリサイクルする文化はおしゃれ以前に
モノを大切にする文化の表れである。
その発想を蔑ろにした発想を容認していることも
また社会として汚れているんだなあって思ってしまう。

モノ、他者への配慮をもって古着に当たることが
ある意味、身も心もある意味綺麗なものではないかなあ?


2017-03-10

小父

よその年配の男性。
僕は30代の前半から、自らオジサンって呼ぶようにしている。
僕という表現とオジサンは矛盾にも感じるかもしれないが、、
若くないし、自分自身にそうであるように戒め
紳士されと思いでそうしている。

この腐った男女平等社会。
女が男をオジサンって呼ぶのに、文句を男が言うと女にガタガタ言われる。
男が女にオバサンって呼ぶと、セクシャルハラスメントになる。
、、、、、、何が平等なんだろうね。バカらしく感じる。
相対的に年を取っているのだから、そう言われても毅然と構える
紳士淑女としてオジサン、オバサンと言われても堂々とできない社会に
平等などあるものかって蔑んでしまうよ。

2017-03-09

名実

名称と実質。評判と実際。
この僕でさえ、どの案件でも確実に評価されるとは思っていない。
逆に、名実ともにということは、リスクでしかない。
評判が高いほど、他人は勝手に期待値をあげてしまう。
その期待値と対価がマッチすることはないので
高い期待に応えないと、たとえ対価が安くても相手に高いと思われやすい。
逆に期待されないのに、結果を出すと安く思われるが、その対価を名実にあわせるかと
いうと、なかなかそうはならない。

名実ともに、、というが実が伴わない現代日本で
どう振る舞うか、現代社会の大きな命題と思うね。

2017-03-08

温存

大事に保存しておくこと。
「将来のために取っておこう」
という発想こそ、安全係数ではなく、過剰在庫の温床である。
今から考えた将来であり、それをとっておいたことで
・在庫管理費用
・経年劣化
・トレンド的型落ち
するだけに、何も資産価値はないといえる。

緊急で必要になったときにどうするんだ!
というか、緊急は日常ではない。
緊急のために日常を犠牲にしすぎて、
得るべきだった利益を失うのはどうだろうか?

東日本大震災からもう数年。
あえて言おう。
もっと前向き、そして建設的に日常を邁進することこそ
亡くなった方々への最善の供養ではないか!っと。

2017-03-07

些末

全く重要でない、ごく小さなこと。ささい。
この表現って、主観的で相手を怒らせやすい。
自分の感覚において些末でも相手においては、重要なことって多い。
親子の些末はすぐに親子喧嘩になるし
まーー、政治家の発言では、、いつも問題になるね。

自分も創業時に大手と契約していたが
そのときの課長クラスに、
「基幹システムからすれば、この案件は些末でして」
と言われたことを覚えている。
その後、その機能が子会社管理において重要となったようで、
すでに契約が切れて3年以上たったときに
その課長と部下から連絡があり
「もう一度お願いしたい」
と言われた。
当社としては、些末と言われたり、かなり契約金額を値切られていたので
お話をある程度聞いたうえで
「おっしゃることはわかりますが、
 この案件、当時の御社と同じように言わせていただきますが
 今の当社では些末な活動でやる価値もありません。」
と合えて言い返した。

これにより、その大手とは契約できないだろうが、
この態度を気に入る人も多く、些末という表現を使いこなすことが
結構重要とわかっている。

まー、僕の行動は、サラリーマンでは難しい、経営判断の醍醐味だけどね。

2017-03-06

損得

損失と利益。損益。
年功序列の崩壊
個人能力主義
フラットな組織
の今、だから、気が利かない人が増えている。

損得、社会情勢、気が利く、、因果性が??と思われるが、、
気が利くということは、はっきり言えば
「損して得取れ」
でしかない。
気が利くということは、譲歩の精神、
自分がマイナスになることで相手をプラスにして
その見返りが別の形になることが考えての行動。

となると、、
~いつ落ちぶれるかわからない上司
~そもそも自分の人生で必要としない人間関係
~もっといえば、ライバルもしくは障害物でしかない存在
の目上の人に気を利かせる意味がない。
そこまで、見抜いているかどうか、、、
でも見抜いていないから、いざ自分が目上になったときに
若手に
「あいつは気が利かない」
と言い出すが、昇進権限も業務上優位性も持っていない存在が
何を言っているのか?

そして、この社会情勢は面白く、
企業に属さない人ほど、、、いやだからこそ
次の営業を込みで、気が利く行動をとる。
大きな企業ほど、社会人教育すべきなのに、
その企業にいるから、気の利かせ方、損得を見失うなあって思ってしまう。

2017-03-03

玩具

遊びに用いる対象物・道具のこと。
転じて、本物に及ばない劣化品をそう呼んだりした。
しかしだ、
小型車 は 大型車の玩具扱い
ノートPCは、ディスクトップPCの玩具扱い
家庭ゲーム機は、ゲームセンターの玩具扱い
携帯電話は、固定電話の玩具扱い
だったが、今ではその玩具が本物を凌駕して、
本物自体が社会から消えつつあったりする。

今、玩具扱いして卑下しているようなものが
近いうちにすごいものになる可能性があるから
あまり今の状況をバカにしないほうが賢明といえる。

2017-03-02

抗菌

有害な細菌がふえるのを防ぐこと。
現代人は免疫力を分かっているのか?
「子供がいいるから、抗菌しないと、、」
その発想が、医療費を高騰させているのだが、、
子供のうちにある程度のばい菌への免疫をつけておかないとならないのに
抗菌されている環境で育つから、ちょっとしたことですぐに病気になる。
また、抗菌を求める親のもとでは、生理的免疫どころか
社会的免疫もないから、すぐに精神異常をきたす子供から大人になる人間が
多いこと。。

抗菌という発想が社会的に有害なばい菌人間を増やしていると辛辣言わざるおえない。

2017-03-01

軍資

軍事に必要な資金。比喩的に、何か行動を起こすためのもとで。
行動するには金がかかる。
そして、行動とは、、基本的に戦であるといえる。
何かを成すということは、何かと戦い勝つこと。
人間は戦争を否定しているが、根本的には争うことを否定できないことは
身の回りの言葉に溢れている。
なぜ、争い、他人を倒すことを否定し続けるのか、、本当に理解に苦しむ。
結果的に自分のためにどれだけ多くの人が不幸になっているとしても
それを認めない発想のほうがとても悪に感じるだけに。