2016-04-28

宿舎

泊まる所。やど。また、職員等の住居用に建てた家屋。
ある意味、大きな組織の補助、援助を受けて自己負担が少ない宿泊施設。
僕からすれば、、能力主義ではあってはならないし、
根本的に資本主義的というより、社会主義的な発想だといえる。

非正規雇用などで、宿舎などを使えない人間が増えている以上、
儲かっている人間が自己負担が少ないこの施設利用は
すでに既得特権になっていることは多くの人間は理解できていないことが
大きな問題だと僕は感じている。

2016-04-27

稚児

稚児とは幼児のことである。
稚児と表現されるときは、だいたい裏に衆道、男色の潜んでいるが、、
人間を俯瞰すると面白い。

現代人の価値観では、
~幼児好き
~男色
とかは蔑まれるようになってきたが、
有名どころは
悪左府:藤原頼長があげられそれから、
江戸時代では当然というか、それがたしなみだったりしていたようで、
徳川左府家光はそれゆえ子孫が残せないのでは危惧され
大奥が作られたのだから、、
最高権力者:左大臣(左府)の多くは稚児を愛でていたといえる。

江戸時代までとそれ以降の現代のまで長い期間を考えれば
そして、日本人の好きな、古き良き日本を懐かしめば
今の価値観ってどうなんだろう。

なんか強引に変えられてしまったのでは?と思うところがある。

僕としては、稚児という概念より
性差を超えて、人間というものが肯定、否定を繰り返すのはなぜだろう、
なんで本能レベルで学習できないのかを調べてみたくなる。
結局、人間は高知能ゆえに、本能と社会性の間をぐるぐる回しているだけではないかって
思ってしまう。

2016-04-26

不滅

ほろびないこと。永久になくならないこと。
僕は思う。
人間が作り出したものは、すべからく不滅にはならないといえる。
それゆえ、永久機関というものは無理だと思う。

科学的、理論的に不滅のものを生み出すことはできると思う。
しかし、その不滅のものは一瞬で価値を失い、
不滅である意味をなさない。
例えば、人工ダイヤモンドがそのいい例だと思う。

現代社会では人工ダイヤモンドは
不滅の宝石という概念より、それを加工、、不滅性を損なって工業的に利用されている。

人の生み出す不滅は、、あるようでないといえる。

2016-04-25

厚遇

てあつくもてなすこと。
他のお客より特別に扱うことなのだが、
現代の商取引において、
それは先行実践に過ぎない。
つまり、その厚遇扱いは後に皆同じような扱いを受けるのだが
それがいち早く行われているという認識だ。

サービスのコモディティー化で
カスタマイズそれたサービスを求めるのが今の世の常。
それゆえ、自分だけという思いが、一番のサービス要素。
そして、自分だけされていないということも逆のネガティブ要素。

誰だけという言葉は後に全員対象にしないと
現代のビジネスでは通じない、そこが結構難しくもあり
そして付加価値を経営していくビジネスの醍醐味かもしれない。

2016-04-22

劣勢

勢いや形勢が劣位にあること。
優勢と劣勢、絶対ではないと僕は思う。
優勢であるということはその勢力が分裂してしまう可能性があるのに対して
劣勢である自覚は窮鼠猫を噛むというくらい強いこともある。
自己視点でものとを見ると結構、失敗しかねないことを最近強く感じる。
劣勢であるほうが、潜在的な力があるという事実を目の当たりするとね。

2016-04-21

風化

岩石が長いあいだ空気にさらされてくずれ、土になる現象。
転じて、流行りが廃れることにも使われる。

モノは必ず風化すると思える。
逆に風化しないモノはものというより、概念化されたものと言いたい。
それゆえ、風化しないモノはいろいろな意味で貴重な存在である。
しかし、風化するからこそ、刹那の魅力があるともいえる。
モノの風化を劣化、老化ととらえる価値観もまた風化されていくのではないかなあ?

2016-04-20

羨望

うらやましく思うこと。
うらやましいとは自分にないものを欲しがる気持ち。
それは人間を向上させる原動力か
それとも宗教上の悪徳なのか?
経済活動の礎は案外、不浄な心持ちではないか?

逆説的にいえば、
宗教とは、経済活動に耐えられない人間の負け惜しみと
うがった見方をしてしまうなあ。

2016-04-19

困窮

困りきってしまうこと。特に、貧乏で苦しむこと。
社会は過去から考えると、十分幸せになっていると思うのだが
相対的に困窮を訴えいる人が増えているのは
心が満たされないからなのか?
一昔前では高嶺の花のようなものが簡単に手に入る時代なのに
社会全体が困窮を訴えることこそ、ある意味幸せである証拠なのか?
本当に困窮していれば、訴えることなどできないのだから。。

2016-04-18

浅学

学問・知識を十分には身につけていないこと。そういう人。
、、、というが、浅学なんて表現を使っている人はすでにマスター領域だといえる。
浅学という言葉は謙遜の意味で、精通、通暁しているといえるだろう。

浅学といいながら、良く知っている人
プロといいながら、使えない輩
日本の人の評価は、なかなか難しいね。

2016-04-15

色彩

いろどりや色合いから転じて
物事にあらわれている、あるようすや傾向

色とは、特徴をさすことが多い。
色物なんて言葉、その最たるもので
色をcolorではなく、unique としてとらえている。

日本には4色しか把握でない国民性があったので、
色といいものに対して奇異をもっているからこういう表現がうまれたのかも。

あー、自分自身が色物である自覚があるだけに、
色のない庶民が同じモノトーンに見てしまうのは、、必然かなあ。

2016-04-14

唐揚

食材に何も付けずにまたは小麦粉、片栗粉、プレミックス(調整粉)のから揚げ粉をまぶして
油で揚げた料理・調理。
基本、鶏肉のことをさすと言い切れる。

唐だから、中国の料理とおもうかもしれないが、
必ずしもそうではない。必ずしもというのは、諸説が多すぎる。
~カラッと揚げる
~揚げているときの音がカラカラ
などいろいろと語源がある。

漢字も
空揚げ
虚揚げ
唐揚げ
といろいろとある。

いろいろな意味があるが、、真実は一つ。
唐揚げはみんな大好きな料理で誰でも知っている。
知っているのに、なぜそういわれているかわからない、、
何とも日本語らしい。

2016-04-13

配送

配達して届けること。
現代社会の買い物の最終形態は、配送になってきている。
ネット、コールセンター、そして、店舗でモノを買ったとしても
自宅に届けてもらうことが当たり前になりつつある。
今、手モノに欲しいものだけを自分で持ち歩き
欲しいものは注文して自宅に配送してもらうことが当たり前になってきている。

買い物と物流が一緒になっている今
店舗の存在意義が本当になんのためにあるのか
今までの陳列ビジネスはなんのためという
既存ビジネスモデルを思い知らされることことが
ただ届けるという概念に打ち破られつつある。

2016-04-12

灰燼

灰と燃えさし。
灰燼に帰す という言葉、すべてを失うという意味に使われる。
最近はあまり使わない言葉になったのは
火事がそう多くのものを焼き尽くす事象が減ったことにも由来する。

現代社会はあまり燃え広がらない。
それは難燃焼性の素材、構造を熟知してきたからだといえる。
しかし、それはある意味、人のマインドも燃えなくなっている。
ある意味、情熱を燃やして灰燼に帰すこともなくなっている。
燃えるようなことはないが、萌えるような価値観になっているのは正常なのか?!

2016-04-11

常世

永久に変わらない神域。
死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされる。

現世と対になる言葉だと思うが、
現世が永遠ではないということではないような気がする。
つまり、人の命は短いが、現世はずっと続いているといえる。

哲学的だが、死という一瞬を永遠と考える仏教的思想の常世という概念。
現代社会ではそういう考え方、思考はなかなか受け付けられなくなったが
それが、心の余裕をなくした、乾いた社会に感じてならない。

2016-04-08

錯視

視覚に関する錯覚のことである。
視覚といいながら、脳内補完でそう見えてしまうものであり、
目のせいというより、脳の生理的な、社会生活のための変換である。
そう見えないと社会的にきついから、そう見えてしまう。
錯覚を起こしているのは、、脳や目なのか?社会そのものか?
なんか人間の性を感じるね。

2016-04-07

難解

わかりにくいこと。
これは読み手、受け手ではなく、
書き手、送り手の問題である。

難解ということは相手のことを考えていない証拠。
相手を意識ないで表現することになんの意味があるのだろう?

でも、結構現代社会ってこの傾向が高いよね。
自分を分からないほうが悪い論理、、社会全体として難解ですねえ。

2016-04-06

湯浴

湯にはいって、体を暖め、また洗うこと。
シャワーが一般的になってきた、現代日本の入浴習慣。
しかし、湯浴みに対しては恒久的に評価されている。
湯治や半身浴など、いつの時代も湯浴みを求めている。

温泉や銭湯で成り立っている日本文化。
湯浴み、それ自身がある意味、日本文化そのものかもしれない。

2016-04-05

老化

生物学的には時間の経過とともに生物の個体に起こる変化。
成長と老化は違うというが、どこの起点で老化というのだろうか?
退化が進化の一部であると同様に
老化も成長の一部と僕は考える。

成長を望むが、老化を嫌う。
ではどれをもって老化と思うのか?
それはある意味、主観と思い込み
それを老化と見なすかどうかは個人の判断だといえる。

老化というものを意識しすぎることがある意味、
老化そのものではないかと考えてしまう。

2016-04-04

点描

線を使わず、点の集まりで絵を描く技法。
点描画といえば、スーラなどの新印象派があげられるが、、
実際問題、現代人が目にしている画はすべて点描といいきれる。

デジタルの画像は画素による点描であり、
ドットプリンターで印刷されているものもまた点描である。
点描の点が裸眼では認識できないくらい細かくなっているからこそ
意識しないが、目に映るものはすべて点描といえる。

もしかしたらだが、網膜に映っている映像情報も情報というレベルで
点描で認識しているかもしれない。

物事は点の塊で形成されている?
まーー、だからといって、点と思い込んでいる汚れの塊に固執する輩が
平然と生きているのはどうかなあって思うなあ。

2016-04-01

妖刀

妖気を帯びた刀。
科学的には、ただの刀だが、その過程でそう言われる。
ちょっと待てよ。

そもそも、刀って基本、人を斬るもの。
それだけで妖気を帯びていないか?
聖剣
破邪の剣
とは中二病的に神聖化して武器をとらえるが、、
殺人凶器には変わりない。

刀に憧れ、そして忌み嫌う。
人間の殺人衝動とその反省の具象化って思うのは
哲学的なのかなあ。