物事が始まる、または解決するいとぐち。手がかり。
何事も端緒、、始点があるはずなのだが
その始点を明確にできないとみなすことが多い。
因果応報ではないが、始点が何かの成功の結果から始まっていたり
複雑な組みあわせの結果だとどこが始点とも言いづらい。
まして、責任論になると自分に責任をない立証をするために
作り上げる論理はますます問題を複雑にさせる。
「なぜここでこんなことをしているのか」
「なぜこういう指示をだしたのか」
「指示を出す人がなぜこの権限者なのか」
「こんな人をなぜ権限者にしたのか」
「誰が彼を採用したのか」
「そもそもこんな作業をしている会社が必要なのか」
と存在否定まで言い出す始末になる。
全くもってなんなだろうこの無責任社会は。
2020-05-28
2020-05-27
私語
黙っているべき情況の中で小声で話をすること。
授業中「私語を慎みなさい」
と注意される生徒。いや生徒たち。
生徒同士が近くにいるから私語が発生し、他の生徒への妨げになる。
今はオンライン授業に変わりつつある。
近くに生徒がいないのだから、私語はなくなる。
確かに授業中にSNSをする輩はいるだろうが、それは勝手にやっていて
別の生徒の受講の妨げにはならないという利点はある。
そう考えると、登校して授業を受けるリスクはないから
オンラインにすべきだ。
そして、悟ったのだが、学校に行きたいと騒ぐ輩は
授業などの学びではなく、ただ他人と話したいだけ。
受講を目的として学びとは目的が違うのである。
他人と話すことが社会性であるという幻想から
今回のCOVIDで気づいていない輩を隔離、絶滅させることが
長い目で見た将来性に寄与するという事実に人間は気づけるかな?
授業中「私語を慎みなさい」
と注意される生徒。いや生徒たち。
生徒同士が近くにいるから私語が発生し、他の生徒への妨げになる。
今はオンライン授業に変わりつつある。
近くに生徒がいないのだから、私語はなくなる。
確かに授業中にSNSをする輩はいるだろうが、それは勝手にやっていて
別の生徒の受講の妨げにはならないという利点はある。
そう考えると、登校して授業を受けるリスクはないから
オンラインにすべきだ。
そして、悟ったのだが、学校に行きたいと騒ぐ輩は
授業などの学びではなく、ただ他人と話したいだけ。
受講を目的として学びとは目的が違うのである。
他人と話すことが社会性であるという幻想から
今回のCOVIDで気づいていない輩を隔離、絶滅させることが
長い目で見た将来性に寄与するという事実に人間は気づけるかな?
2020-05-26
思出
思い出す。
コンピュータ的に考えると主記憶領域にないけど補助記憶媒体にある状態。
当人の頭の中ではすっかり忘れていたことで
何かの契機で脳内の補助記憶から呼び出せること。
情報化社会は人の主記憶の容量を超える情報が飛び交い、
いきなり話しかけられてもその内容がわからないことがなくはない。
主記憶には自信がある僕とてそういうことが起きるようになっている。
だからこそ、会話において、それを悟らせまいとして
いろいろと探りをいれることが、大人のマナー、礼儀だと思うが、、
最近の社会人は自分が忘れていることに対して
「知らない」と言い出した後に、思い出した時に平気で
「そんなこと知っているよ」と言い出すのは、
その人が礼儀、恥じらいを主記憶から外しているから?!
コンピュータ的に考えると主記憶領域にないけど補助記憶媒体にある状態。
当人の頭の中ではすっかり忘れていたことで
何かの契機で脳内の補助記憶から呼び出せること。
情報化社会は人の主記憶の容量を超える情報が飛び交い、
いきなり話しかけられてもその内容がわからないことがなくはない。
主記憶には自信がある僕とてそういうことが起きるようになっている。
だからこそ、会話において、それを悟らせまいとして
いろいろと探りをいれることが、大人のマナー、礼儀だと思うが、、
最近の社会人は自分が忘れていることに対して
「知らない」と言い出した後に、思い出した時に平気で
「そんなこと知っているよ」と言い出すのは、
その人が礼儀、恥じらいを主記憶から外しているから?!
2020-05-25
良品
良い品物。
とても抽象的、曖昧な表現である。
基本、主観的、、つまり自分にとっての良品でしかないのだが、
インフルエンサーに影響を受けやすい現代社会では
インフルエンサーに言われるとそれが良いもの、良品と思ってしまう。
インフルエンサーという言葉は最近の言葉だが
その存在は昔からあった。
芸能人、腕の立つ職人、名バイヤーなどが
自分の価値観でそのユースケースを説明すると良品としてその商品が売れていた。
今もSNSでユースケースの共感で、、、
うん?良品は品物がいいのではなく、その使い方、所作というライフスタイルに
憧れ、その行動がとれるということ。物の性能の良しあしは関係ないのか?!
とても抽象的、曖昧な表現である。
基本、主観的、、つまり自分にとっての良品でしかないのだが、
インフルエンサーに影響を受けやすい現代社会では
インフルエンサーに言われるとそれが良いもの、良品と思ってしまう。
インフルエンサーという言葉は最近の言葉だが
その存在は昔からあった。
芸能人、腕の立つ職人、名バイヤーなどが
自分の価値観でそのユースケースを説明すると良品としてその商品が売れていた。
今もSNSでユースケースの共感で、、、
うん?良品は品物がいいのではなく、その使い方、所作というライフスタイルに
憧れ、その行動がとれるということ。物の性能の良しあしは関係ないのか?!
2020-05-22
2020-05-21
2020-05-20
海苔
食用とする藻類の総称。
日本人なら誰でも知っている食材と言える。
では幅海苔って知っているか?
現在ではなかなか聞かない海苔といえる。
千葉ではよく食べられていた、お雑煮にかける海苔で
今の青海苔の地位ともいえる。
今から50年前は現在のような食料物流が発達していなく
地元の食材しか食べられないものが多かった。
逆に流通しているものは流通コストで高かった。
未就学児時代、
祖父と食事するとき
祖父は初孫である自分にパリッとする高級板海苔を与え
自分はボロボロのような見た目の幅海苔を食べていた。
「じいちゃんはこっちの海苔でいいから」
と言って。
祖父が他界してもう何年になるだろうか?
母と祖父を偲んで、雑煮に幅海苔でも入れて食べようと思ったら
正月でいいものは7000円もした。
相当な高級食材になっていた。
流通コストが劇的に安価になったこと
市場受けがしないので生産者がいなくなったことで
幅海苔の供給と需要が逆転してしまったようだ。
これはバカ貝と言われたアオヤギ、丸々とした鰯もそうで、
昔の高級食材は今の常備惣菜
昔の庶民の味ほど、今では高級食材
ということが多く見受けられる。
日本人なら誰でも知っている食材と言える。
では幅海苔って知っているか?
現在ではなかなか聞かない海苔といえる。
千葉ではよく食べられていた、お雑煮にかける海苔で
今の青海苔の地位ともいえる。
今から50年前は現在のような食料物流が発達していなく
地元の食材しか食べられないものが多かった。
逆に流通しているものは流通コストで高かった。
未就学児時代、
祖父と食事するとき
祖父は初孫である自分にパリッとする高級板海苔を与え
自分はボロボロのような見た目の幅海苔を食べていた。
「じいちゃんはこっちの海苔でいいから」
と言って。
祖父が他界してもう何年になるだろうか?
母と祖父を偲んで、雑煮に幅海苔でも入れて食べようと思ったら
正月でいいものは7000円もした。
相当な高級食材になっていた。
流通コストが劇的に安価になったこと
市場受けがしないので生産者がいなくなったことで
幅海苔の供給と需要が逆転してしまったようだ。
これはバカ貝と言われたアオヤギ、丸々とした鰯もそうで、
昔の高級食材は今の常備惣菜
昔の庶民の味ほど、今では高級食材
ということが多く見受けられる。
2020-05-19
建造
建物・船など大きな構造物をつくること。
最近では解釈が変わってきて
ピラミッドを強制労働で作らせたという表現は消えてきたが
未だに奴隷に王が作らせたっていう見解を持っている人もいるだろう。
そうしないと、あんな建造物を土木建築機械がない時代に作れるわけがないから
という思い込みで。
それって価値観の違いかつおよび庶民発想でしかない。
建造は公共事業であることが多く、建てることより建てることによる雇用が重要だ。
雇用があれば、仕事がない時期に仕事と収入を発生させられる。
それを行い経済を回し、犯罪を実行させる機会を減らすことができる。
こういう発想で大型建造が行われて、強制労働ではない。
逆に強制労働だとモチベーションの問題でそう大きな成果にはつながらないだろう。
でも後世の庶民は自分の価値感で強制させられてと思い込む。
ピラミッドだと古代過ぎてイメージできないから近代で話そう。
前の東京オリンピック、
国立競技場の建設は大型公共事業であり、
今のような最新建築技術はないなか作り上げた。
土日休日一日8時間なんて今の基準はなく24時間交代制、
労災なんてなく、ただひたすらに工事を進めた。
完成直前のゆく年くる年の生放送中に現場監督にアナウンサーが話しかけた
「こんなときも頑張っているみなさんに家族もお喜びでしょう」
という発言は称賛されていた。
今では全く逆の評価になるだろうが、
その時の価値観で公共事業、建造は行われることを物語る証拠ともいえよう。
最近では解釈が変わってきて
ピラミッドを強制労働で作らせたという表現は消えてきたが
未だに奴隷に王が作らせたっていう見解を持っている人もいるだろう。
そうしないと、あんな建造物を土木建築機械がない時代に作れるわけがないから
という思い込みで。
それって価値観の違いかつおよび庶民発想でしかない。
建造は公共事業であることが多く、建てることより建てることによる雇用が重要だ。
雇用があれば、仕事がない時期に仕事と収入を発生させられる。
それを行い経済を回し、犯罪を実行させる機会を減らすことができる。
こういう発想で大型建造が行われて、強制労働ではない。
逆に強制労働だとモチベーションの問題でそう大きな成果にはつながらないだろう。
でも後世の庶民は自分の価値感で強制させられてと思い込む。
ピラミッドだと古代過ぎてイメージできないから近代で話そう。
前の東京オリンピック、
国立競技場の建設は大型公共事業であり、
今のような最新建築技術はないなか作り上げた。
土日休日一日8時間なんて今の基準はなく24時間交代制、
労災なんてなく、ただひたすらに工事を進めた。
完成直前のゆく年くる年の生放送中に現場監督にアナウンサーが話しかけた
「こんなときも頑張っているみなさんに家族もお喜びでしょう」
という発言は称賛されていた。
今では全く逆の評価になるだろうが、
その時の価値観で公共事業、建造は行われることを物語る証拠ともいえよう。
2020-05-18
2020-05-15
2020-05-14
屋号
一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号。
現代社会、屋号を名乗ることはない、、、とは言えない。
例えば、父方の親族の集まりに参加した場合、
苗字に呼び合うだろうか?現民法では同じ苗字になるのでなかなか識別しづらい。
だから、住所で呼び合うことになったりするだろう。
千葉の
博多の
琵琶湖の
なんて、耳にしないか?
それが屋号であり、
昔は地名も戸籍も統一されていないから独特な屋号があった。
ある意味、アドレス単位で人を把握していた。
今のメールアドレス、ハンドルネームもある意味、屋号の一種化も。。
とはいえ、屋号も汎化すれば、、公になる藤原摂関家を軸にした屋号が
藤原邸の左にいた 佐藤
藤原邸の門番 衛藤
藤原邸の近くに 近藤
と多くの藤の性の発祥は、屋号が昇華したものだから、
今後、、、メールアドレス、、ハンドルネームも性の代わりになるのかな??
現代社会、屋号を名乗ることはない、、、とは言えない。
例えば、父方の親族の集まりに参加した場合、
苗字に呼び合うだろうか?現民法では同じ苗字になるのでなかなか識別しづらい。
だから、住所で呼び合うことになったりするだろう。
千葉の
博多の
琵琶湖の
なんて、耳にしないか?
それが屋号であり、
昔は地名も戸籍も統一されていないから独特な屋号があった。
ある意味、アドレス単位で人を把握していた。
今のメールアドレス、ハンドルネームもある意味、屋号の一種化も。。
とはいえ、屋号も汎化すれば、、公になる藤原摂関家を軸にした屋号が
藤原邸の左にいた 佐藤
藤原邸の門番 衛藤
藤原邸の近くに 近藤
と多くの藤の性の発祥は、屋号が昇華したものだから、
今後、、、メールアドレス、、ハンドルネームも性の代わりになるのかな??
2020-05-13
2020-05-12
2020-05-11
2020-05-08
2020-05-07
他為
他人のため。
はっきり言えば、
他人のためという発想はこれからの社会では不要、いや批判される。
他人のためと思っていて行動しても相手側が自分中心な考え方だと
当然と思っていることになり、こっちの思いが通じない。
通じないって思いもまた自分中心であり、、この連鎖が永遠に続く。
これからの社会はsocial distance という言葉から
人と接しないことが求められることと、他人に無関心、むしろ
画面上の存在、ゲームで言えば、NPCと同じ、、
自分以外はどうでもよくなるだろう。
こんな社会で他人のためと思うことが自損につながるということを
理解しておく必要がある。
偽善者がその自損を褒めても、支援や援助を一切しないそれが現実だ。
はっきり言えば、
他人のためという発想はこれからの社会では不要、いや批判される。
他人のためと思っていて行動しても相手側が自分中心な考え方だと
当然と思っていることになり、こっちの思いが通じない。
通じないって思いもまた自分中心であり、、この連鎖が永遠に続く。
これからの社会はsocial distance という言葉から
人と接しないことが求められることと、他人に無関心、むしろ
画面上の存在、ゲームで言えば、NPCと同じ、、
自分以外はどうでもよくなるだろう。
こんな社会で他人のためと思うことが自損につながるということを
理解しておく必要がある。
偽善者がその自損を褒めても、支援や援助を一切しないそれが現実だ。
2020-05-01
特番
特別番組。
ラジオ、テレビの放送枠で定例と異なる放送を流す企画であるが、
現時点のCOVID禍の以前から既存メディアの衰退が激しく
特別といいながら、新たな企画ではなくアーカイブス
つまり、過去作品の再編集を流していることが多い。
表題的には
「リクエストの多かったあのシーンを」
と言い出すが、既存メディアは双方向ではないのでそのリクエストの根拠はなく、
ただ自分たち制作サイドの思い込みという手抜きなチョイスである。
こういう過去にすがりだすことを始めると衰退がより加速する。
特別番組と銘打ち、あたかもすごいと思わせて名前負けの発想は
双方向メディアの台頭、一般人投稿が簡単なインフラの今では通じないことに
気づけないんだろうな。
ラジオ、テレビの放送枠で定例と異なる放送を流す企画であるが、
現時点のCOVID禍の以前から既存メディアの衰退が激しく
特別といいながら、新たな企画ではなくアーカイブス
つまり、過去作品の再編集を流していることが多い。
表題的には
「リクエストの多かったあのシーンを」
と言い出すが、既存メディアは双方向ではないのでそのリクエストの根拠はなく、
ただ自分たち制作サイドの思い込みという手抜きなチョイスである。
こういう過去にすがりだすことを始めると衰退がより加速する。
特別番組と銘打ち、あたかもすごいと思わせて名前負けの発想は
双方向メディアの台頭、一般人投稿が簡単なインフラの今では通じないことに
気づけないんだろうな。
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