2015-09-30

縦横

たてよこ。また、東西と南北。
縦横無尽という言葉以外に縦横という言葉を使わなくなった。
もっといえば、X軸、Y軸とまでいうようになっている。
また、3次元的に考えると、縦、横、奥行きなどから
縦横のイメージがかわりつつあるのかなあ。
縦、横、それ自体も個々の視点でしかない事実があるだけに。

2015-09-29

深刻

重大で深く心に刻みつけられるさま。
現代社会はとかく、何かにつけて深刻と言い出す。
深刻という言葉が定性なものだけに、
危機感表現のインフレが起きているといえる。

これって、現代語のおおかみ少年現象ではないか?
なんでも深刻っていうから、本当に深刻なものがわからなくなってくる。
人の生き死にも人の価値観によっては、
深刻どころかどうでもいいと判断されたりしているだけに申告な問題にされない。
結局、深刻な問題とは、自分さえ、自分の価値観こそ一番という思い上がり精神の
象徴的な言葉だと僕は理解している。

2015-09-28

予見

まだ起こらないうちに、先を見通して知ること。
予知と同義に近いが、予知のスキルは得てして社会と相性が悪い。
社会のために使えそうで、まったく使えない能力である。

先を見通すこの能力はそれを先に知っていることを口にすると
「なぜそれをみんなに伝えて予防しない」
「その能力をなぜみんなのために使わない」
と非難される。
予防?馬鹿か?
結果がこうなるとわかっていることを予防などで変わったら
予見したことにならないではないか。

正しいことを伝えて非難されて
仮にそれが予防できたら、嘘をついたことになる。
そんな役損なスキル、、そう社会に役立てるのではなく
社会から逸脱するためのスキルとして割り切ってしまうほうが賢明だといえる。
それは、僕が生きてきた結論ともいえるがね。

2015-09-25

体幹

身体の頭部と四肢(左右の手足)を除く胴体部分。
体の幹、、コアのことと言える。
最近は体幹を鍛えるとか言い出しているが、
ただ体を鍛えているだけというを強調、誇張しているようにも聞こえるのだが。
そうではないという。
なんか、体幹を鍛えても思い込みの精神が腐っているなら意味がないのでは?
って思ってしまう。

そもそも、体鍛える意味は何だろうか?
生きているだけで迷惑な存在が長生きすることは
社会の根幹を腐らせていないかって思ってしまう。

2015-09-24

舞踊

ダンスのことかもしれない。
そう、かもしれない、、そもそもダンスを踊りと訳すことはどうだろうか?
ダンス、アクション、パフォーマンス、、すべて日本語の踊りとみなされるが、
目的、表現が異なることが多く、踊りと訳すべきないような気がしてきた。
現代の和訳の多くが、明治時代の賢人とされる人たちの価値観で決められていることが
多く、もう100年以上すぎている現代を鑑みて、直していくべきだはないかと思ってしまう。

2015-09-18

浪漫

ロマンとは?
言葉で説明できるどあろうか?

定義的には古典主義の反対といわれるが、
今度は古典主義とは、、となってしまう。

僕が要約するのであれば
理性、合理、道義というお約束に縛られず
思うがまま、感情に従った行動となる。

現代人はこの浪漫に対して憧れではなく
当たり前の個性
軽蔑すべき発想
となり、人を分類、避難する観点になっていることに、、
なんか寂しさがあるなあ。

2015-09-17

菜園

野菜を作る畑。
でも基本、畑って野菜を栽培するものだから、
菜園ってあまり言わない。

むしろ、畑に満たない個人の庭での栽培場が通例かな?

最近の菜園をみると
人間はなんだかんだで、土を求めるのかな?
産業の高度化で農業から人は離れたが
いたるところで野菜栽培をしたがる。
結局、人間は土に還るということか。

2015-09-16

拠点

いろいろな活動の足場となる重要な地点。
戦、ビジネスにおいて拠点をどこに置くかで
その後の展開が大きく変わる。

確かに、ロケーションフリーな時代になってきている。
場所にこだわらずとも、多くのことができる。
しかし、何だかんだで日本である。
土地が少ないからこそ、立地がステータスになることは
永遠に変わらないといえる。

だから、拠点を設けて活動することは
どんなに時代、技術が進化しても今の価値観に代わりはないだろう。
都会、田舎、、のぼり、くだりの概念がある以上
拠点の格付けはそれ相当の意味を持ちつづけるだろう。

2015-09-15

認証

ある行為とか文書の成立・記載とかが、
正当な手続きでなされたことを、公の機関が証明すること。

最近ではITのセキュリティで用いられることが多い。
安全である立証を、正当な手続きが行われているから大丈夫という論理である。
しかし、正しいとされることすら、現代社会では否定されることも多く、
認証されたからといって確実に保証されているとは限らない。

認証するという行為を正しいとみなす考え方を見直すべきと思うことところがある。

2015-09-14

疲倦

くたびれてあきること。
ヒケンと読むのだが、なかなか使われない言葉になっている。
現代社会、多くの人が疲倦な状態といえる。
、、、、そうだろうか?
人間は生きていれば、疲倦であるような気がする。
いきること、それは疲倦であると思うのだが、
なぜか、当代の人間は疲れているといわれるのはなぜ?

2015-09-11

遊山

山野で遊ぶこと。気晴らしに遊びに出かけること。
現代社会の効率化では、
遊山が認められないだろうな。

しかし、多くのことは遊山の結果に生まれることが多い。
コンを詰めても何も得られないような気がする。
効率化が必ずしも正しいとは思えない。

人工知能、ロボットの進化が進めば
人間の存在自身が非効率になると結論づけられることが明白なだけに
遊山で自分の考え方や発想に価値を見いだせることが
次世代の存在だと僕は確信している。

2015-09-10

更改

前のと異なる新しい契約等に変えること。
あるIT企業は大手顧客のシステム刷新をこう呼ぶ。
まー、今までの保守契約を変えるからである。

上記のことは大手ではなく、身の回りのものがどんどん
買い換えから更改になりつつある。
所有から利用、有形物から無形サービスになってきている。
クラウド、
カーシェア、
タイムシェア、
と、今まで買わなくはならなかったものがどんどん利用になってきている。
使いたいとき、使いたい分だけ、
それを買うのでは、、更改により手に入れる。

こうなると、、支配欲、物欲という概念が薄れ、
煩悩は薄れて、、いや、経済がどんどん停滞する僕は危険視してしまう。

2015-09-09

褒貶

褒めること。
僕は現代社会は本当に褒めることが下手になったなあって思っている。
褒めることより、相手のあら探しのほうが容易であったり
褒めることで、相手が調子に乗ることがリスクだとか、、
それって、バカな意見でしかない。
相手を褒める言葉、まさかそこを褒める視点がない無能者だからこそ
相手を褒められないという事実をもって自覚すべきだといえる。

2015-09-08

福袋

福(幸福、幸運)が入っている袋ではなく、
在庫の詰め合わせ処分なのだがそれを隠してこう言い張る。

たくわんの贅沢煮をご存知だろうか?
たくわんを贅沢な具材で煮込んでいるのではなく、
固くなったたくわんという食材を煮込んでもう一度食べられるようにすることであり、
2度手間になっているたくわんへの皮肉なのである。

日本語はこういう皮肉をさりげなくぶっこんで来る言葉だと感じる。
英語のwitと似ている?
そう感じるかは、人それぞれかもしれないが
僕からすれば、ちょっと違う。
あっちは笑いのためかもしれないが、
日本語は見下し、呆れが込められているところがどうも同義視できない点である。

2015-09-07

誤解

意味をとりちがえること。まちがった解し方をすること。
つまりは、受け手の責任のはずである。
しかし、現代社会は送り手の責任になることが多い。

「こっちを誤解させるような表現をするな」
「こっちを誤解させたのだから、責任を取ってちょうだい」

なんて平気で言い出す。
それに対して

「勝手に誤解したしたあなたが愚かではないか」
「バカなの?自分で何を言っているかわかっているの?」

とこれも相手に誤解を招く受け答えも平気で行われている。

誤解をするということは、
誤解してしまうほうが悪いのか
誤解させてしまうほうが悪いのか
誤解したことを相手の責任にすることが悪いのか
誤解していることを愚かとみなすほうが悪いのか
、、基本、現代社会では誤解がいろいろな意味での
コミュニケーション問題を引き起こす源であることは確からしい。

2015-09-04

満開

花が十分に開くこと。
満点が100点中100点であるが、
満開とは必ずとも定量的なマックスな値とはいえない。
ある意味定性的な表現といえる。

満開という表現は定量的なことより
人を呼び込む条件のような気がする。

満開という状態が人が観る価値があるという意味の閾値としては
これほど人の心を揺さぶる言葉はないかもしれない。

2015-09-03

写生

絵画などにおいて、事物を見たままに写しとること。
自分としては、写生がうまい人はすごいと思う。
目で見たものをそのまま手、指でそのままを描けるのだから。

事実を的確に捉えることができることは
その人の個性を押し殺してまで、対象物を表すに徹せられることで、
あくまでも事実を足すことも引くこともなく表せるということは
それだけで価値がある。

現代社会、いろいろと混合、不純になりやすい中
純を保てることは大きな価値だと思う。

それを3次元から2次元に加工しているようで
そうではない写生は本当にすごいと思う。

2015-09-02

蒟蒻

この食材、、、なんだろう。
栄養価もなく、カロリーもない、味もしみこまない。
まして、生で食べると劇薬に等しい。

僕は思う。
蒟蒻って変な需要で成り立っている。

飢餓の時は何か食べ物をという理由で求められ、
飽食の時は低カロリーという理由で求められる
特殊な食材だといえる。

極端な理由で求められるものって
経済活動において何とも説明しがたい面白きものだあって。

2015-09-01

本題

議論や話題の中心の事柄。
しかし、それは提言者の思い込みであって
必ずも本題とは限らない。

自分はそれが話すべき内容という思いがあったとしても
相手からすれば、そこは違う、興味がないことなどざらにある。

最近よく見るのは
自己主張、能力主義のせいで
自分が本題と思っていること以外は
「関係ない、いいから自分の意見を話せ」
と言い出す輩本当に多くなってきた。

それを繰り返すことがコミュニケーションができないということなのだが
それをわからずに、、さぞ自分が正しいと思い込む。

僕からすれば
本題という概念すらおかしいのかもしれない。

こっちの本題という問いかけに別のことを言いだしたときに
そこから別の情報、、もしくは本題が本題ではないという切り替えをすることが
人間関係、全体視に必要だと僕は悟っている。
この事実を理解せずに、自分の計画、自信を自己中心的に行うことに
恥ずかしさはないのか、、僕からすれば醜く感じるねえ。