2015-07-31

難航

難しい航海から派生して
障害が多く、物事がはかどらないこと。
ただ、この難航、主観的な意見に過ぎず、
難航していると思っているのは自分だけで
相手からすると、なんて邪魔なんだって思ってしまうことばかりである自覚は
多くの人間が理解していない。
自分が思う障害は相手からすれば、なんて非常識な嫌な存在の可能性がある前提で
物事をとらえるべきだ。

2015-07-30

特集

新聞・雑誌やラジオ・テレビなどで、特定の事件や問題をとりあげて編集したり放送したりすることである。
でも、それってひとつの記事であり、特定しているとはとても思えない。

日本語の多くは、誇張している表現が日常化し過ぎている。
なんか表現が多くて、それが当たり前になっていることに対して
言葉のデノミをしてはどうかって思う。
特集は記事
特価は価格
大サービスは値引き
と表現を戻したほうがわかりやすいのでは??

2015-07-29

開幕

舞台の幕が上がるという本来の意味より
時期がきて、ある物事が始まることで使われることが多いだろう。

物事も多くはシリーズ、連続実施されるものをしていて、
長い期間のスタートに使われる。

興行主の立場で考えると、
短い期間の開幕を積み上げて、
大きなイベント期間の開幕を目指すことが本懐ではないだろうか?

ある意味、成功者の一つの判断基準として、
開幕させるイベントを主催できるようになることが基準ともいえ、
僕もそうなれるようになりたいものである。

2015-07-28

饂飩

読めますかな?
答えは、うどん。
基本、現代社会ではひらがな表記が一般的になっている。
それで、ほぼ日本人全員に通じるといえるくらい浸透している。

では、うどんと麺の違いはなんだろうか?
基本、小麦粉で作られるものであり、
細長く、茹でて食する。
大まかなところに差異はない。
違いは、、

はっきり言えば、これも思い込みの問題であり、
それをうどんといえば、うどんであり、麺といえば麺である。
そのとき、他人がその定義を容認しないことが個性であり、
そして抗争の始まりである。
些細なことだが、こういう個人定義の問題から抗争は始まるものである。

2015-07-27

賢人

賢い人。
賢い人が有益だという錯覚が現代社会を悪くしている。
勉強できる人が社会を回すとされるが、
その勉強できる人がこのダメな社会を作ったと思うべきでもある。

賢いことの多くは、誰かの意見をただ覚えているに過ぎない。
それが今でも通じると思うことが古い価値観であり、
多くはもう使えないことばかりである。
使えないものを、偉そうに語ることが賢いというバカらしさに
そろそろ庶民は気づけよって言いたい。

2015-07-24

奉仕

国家・社会や目上の者などのために、私心を捨てて力を尽くすこと。
人はこの概念を求める癖に、能力主義を掲げている。
能力とは自分に帰着する益なるものであるから
奉仕とは相反する意味なのだが、両方が両立する思い込んでいる輩が多いどころか
自分は奉仕を受ける側と思っている。
奉仕をするものであり、されるものではない。
その辺の自覚、他人が奉仕しないって言い出す発想からして、
現代に奉仕の概念がないといえるし、
奉仕をすることがなんて無駄な社会んあだろうって思ってならない。

2015-07-23

牧草

家畜の飼育に使用される草本類のこと。
では、牧草ってなんて植物のこと?って言われると
牧草は牧草って答えてしまうだろうが、
牧草も植物名がある。
多くは
ライムギやクローバー、アルファルファなどである。
それらを知っていてもあまり意味がないんだろうね。

ある意味、食事をごはんって言っているようなもの。
すべてをまとめて総称で理解するのは日本人の特徴かな?

2015-07-22

毀損

 本来の意味は物をこわすことであるが、
現代社会では利益・体面などをそこなう
無形財産への侵害だろうなって思う。

無形だけに、思い込みだったりする。
何をもって毀損なのか?
自分にとっては毀損であっても相手にとっては取るに足らないことなんてことが多い。

身の回りに起きた事件では
名誉棄損だと訴えた人間に対して
その訴えが名誉棄損だと訴えた人を見た。
もうどうしようもないと僕は感じている。
毀損という概念があればあるほど、無いものを無くしたという
自分の世界の論理がまかり通り、社会が社会でなくなるような気がする。

2015-07-21

普及

広く行き渡ること。
僕の中では、伝染と普及は同義でとらえている。
病気と一緒にするな!ってバカはいうが
普及というものは、精神浸食、ある意味、思い込みの伝染でしかない。
今までの当たり前、前提条件を壊すことが普及であり、
ある人からすればそれは恩恵かもしれないが
別の価値観を持つ人からすれば、それは自分の周りの人間がある種の精神病を発症していると感じることだろう。

一昔前でいえば、
小さな画面をずっと見続けている人は気持ち悪いとまで言われていた。
オタク、ゲームマニアとなっていた。
しかし、現在はモバイル化、情報化が進み、
それら画面を見ていないで生活する人のほうが社会的におかしいとなっている。

年よりからすれば、現代人が機械に支配されている精神病と見えてしまうが
そう発言したほうが、精神的に病んでいるとみなされるのが
普及のコモディティ化の恐ろしさともいえよう。

いいものを普及させようという発想は、
精神伝染、ある意味洗脳であると理解、判断できる意思をもって
現代社会と接しないとならないと僕は思う。
もっとも、それを意識しない人が多いからこそ、
普及できるという事実も忘れてはならないけどね。

2015-07-17

駆使

追いたてて使うこと。こき使うこと
から、今の社会では昇華された意味
自由自在に使いこなすこと
になっているだろう。

人生とは駆使して生きることだと思う。
駆使するものが、何かでその人の生きざま、人生観がわかるというもの。
何を駆使して、何を得て、その得たものから次に何を駆使するのか。
そこを意識すると、、目的意識がしっかりするという一般的なまっとうな意見と
プロセス志向で当人の人間としての意識が希薄なつまらない発想という意見が
出てくるだろう。

駆使することでえられるものが
自分という人間の価値と限界を決めてしまうと言い切れることを
忘れないようにしていきるべきだろうな。

2015-07-16

探査

未知の物事について、さぐり調べること。
科学的にいうと、探査だが、
ある意味、冒険ともいえる。

最近、コスト意識のせいか、探査という概念がめっきり減った。
でも、探査、冒険する気持ちなくして進化なし。
もっと、探査をビジネスでしていくべきと僕は思うし、
そういう施策を社員に推奨することがベンチャー精神ではないかと思ってならない。

2015-07-15

遠慮

人に対して、言葉や行動を慎み控えること。
最近、この発想が薄れた社会になっているなあ。

自己主張、能力主義、皆平等、
それで遠慮から慎みがなくなり、
ただ相手を怒らせるだけ、訴訟を起こす社会になっていることを
恥ずかしく感じない日本人になってしまったことは
グローバル化なんかよりよっぽど問題となぜ、庶民はわからないのか?
本当に僕には理解できない。
忘れられた10年で本当になくしたものは
慎み、思いやり、、遠慮に秘めた日本人らしさだと僕は確信している。
ものづくり日本という本質はそこだということをいい加減に気付けよって思うよ。

2015-07-14

評判

世間の人が批評して是非を判定すること。
人によっては評判が人の価値と思ったり、
その評判が胡散臭いとみなされたりする。

人の噂も七十五日、
評判なんか相対的、時限的なものといえる。
いくら評判のいい人でも自分にとっては邪魔な存在だったりするし、
評判の悪い人がすごく使える人だったときはなんか得した気分になるのだから。
あまり評判を信じないほうがいいかもしれない。

2015-07-13

打倒

うちたおすこと。うちまかすこと。
平和主義とか言っている日本。
でもスポーツやビジネスで打倒って言葉が頻繁に使われる。
スポーツ、ビジネスでは使っていいが、平和的ではないところに使わないっていう
暗黙のルール。

、、、バカらしくないか?
基本、人間、、動物は好戦的で進化するものであり、
それを文化的とかいって抑止する発想自体が精神的におかしくしているような気がする。
打倒、という言葉、、それより平和っていう概念そのものを考え直すべきかもね。

2015-07-10

始点

ひと続きの物事の始まる箇所。
という言葉で言うと簡単だが、
実際問題、始点を明確に定義できるだろうか?
ある事実の始点とされるものは
別のもの中間点、場合によっては終点だったりする。

始まりが決まっているものなど、
あるわけないというか、
始まりを定義したがることは
物事を切り捨てる考え方ということで
僕からすると、独断、横暴な発想に感じるね。

2015-07-09

悪夢

眠る時に見る嫌な夢という意味だが、
比喩表現として、この世のものとは思えない程の悲惨な光景のほうが使われやすい。

そして、悪夢という言葉が案外簡単に使われるようになっている。
言葉は量産されるように使われ、コモディティ化して
意味の重みが失われていく。

悪夢のようなことだ、、という言葉、、聞き飽きて
あたかも日常に感じるのは、それだけ多く使われている証拠なのかもしれない。

2015-07-08

可塑

思うように物の形をつくれること。塑造できること、、、
英語でいうと、、、、plastic 、、そうプラスチックのことである。

勘違いしている思うから述べておくが
そもそも
可塑 : 思うように物の形をつくれること
という意味、
plastic という言葉が先に存在した。

そして、重化学工業の発展で
石油から整形のしやすい材質が見つかった。
その材質は、型に流し込み、冷やすとどんなものも作れる画期的、、魔法の素材となった。
そんな魔法の素材を、、、
plastic material (可塑素材)と呼んでいたが、、
その素材があまりにも社会、生活に蔓延した結果、、
物の呼称は、短くあだ名になる。
日本語で言えば、、、携帯電話はケイタイといわれるように、、
そうplastic material も、、ただplastic と呼ばれるようになる。
それが日本でも、
可塑素材とはいわずに、
プラスティックという呼ぶようになった。

使い勝手のいいものは
万国共通、略されるんだなあ。

2015-07-07

遺産

先祖代代受け継がれてきた財産その他の有形的・無形的価値のことをいうこと。
面白いもので
相続対象の遺産は社会から疎まれ
所有権のない遺産は、文化、歴史遺産とされる。
受け継ぐ対象が特定できないほど
ありがたがられるのは、、、多くに資産にも当てはまることともいえるかな?

2015-07-06

親和

 互いになごやかに親しむこと。なじみ、仲よくなること、
親和性というと、それが抽象化されて
ある物質が他の物質と容易に結合する性質や傾向となる。

親和性の恒久性は科学的な立証はできる。
しかし、人間関係の親和のほうは、一過性、そのときの思いでしかない。
本来あるべき、親和の代名詞、親子の愛も
最近では、骨肉、ネグレイド、など、なかなか親和と言い切れないことが目立ってきた。

仲良きことは美しきかな、、
美しいというだけに、現代社会は醜いんだろうな。

2015-07-03

短冊

細長く切った紙や薄い木の意味だが、
今では、七夕の願い札とみなして差支えないだろう。

思うのだが、
神さんへの祈願は人に話しては願いが叶わないといわれるが、
絵馬や短冊は願いを他人に公開させるのだなあって思った。
これって、日本人の曖昧さの象徴なのかなあ。

2015-07-02

画面

描かれている絵の表面。
でも、そう考える人はいなく、ディスプレイのことといえるだろう。
現代社会、画面がないIT機器、、いや電化製品はないくらい
画面というインターフェイスが当たり前になっている。

出も僕は会社創業時に
「キーボードのない時代のITがわかっているので」
と口にして、今そうなっている。
それだけ僕は見えているので、あえて言おう。
5年以内で、画面という概念はかわると思う。
画面は画面だが、、ディスプレイである必要はなくなるだろうと思う。
具体的に言い当てられれば、僕はこんなに苦労しないのにって思うが
そうなることだけはここに宣言しておこう。

2015-07-01

出精

精を出して努めること。精励。
今、この言葉を使うのは、、値引きのときくらいだろう。

現代社会、
精一杯やるより、効率化が求められ、
値引きそのものがオープンプライス、価格変動が秒単位になっている以上、
出精値引きという発想そのものが通じなくなっている。

とはいえ、
精一杯行うことは
買う側より、売る側の気持ち、、
そうビジネスへのモチベーションが生まれるどうか、
仕事に対する考え方だと思う。

だって考えてほしい。
人手不足なのに、
失業保険が過去最大って
どんな状況だよ。
どれだけ、精一杯生きようとしていないんだよ。