2025-05-30

査察

情況を視察すること。
多くの場合は問題があるところに対して
それなりの有識、権限者がその内容を見てくること。

ちょっと思うが、査察したことで得られるのは
~当人の気持ちの高ぶり
~それを見ている人たちへのアピール
でしかなく、根本解決には程遠いように感じる。

問題は現場で起きているが
解決は現場ではできないのが
今の社会のセオリーと気づいている。
確かに前近代的な昭和では現場の人材、機材、タイミングで
処理できるものが多かったが、
今ではネットワークサービス、現場のスキル不足、
そして、非正規や愛社精神のなさによる当事者意識の薄れ
から、現場では何もできないと言い切れる。

現場査察することの意義を見直さない限り
そもそもの問題に対処できるわけがないと
人間はいつ気づくのか、、逆に気づかないまま
また社会は流動していくのか、、

2025-05-29

揚足

相撲・柔道などで、宙に浮き上がった足。浮き足
つまり、不安定な状態を指す。
それが転じて、曖昧な表現に対しても慣用的に当てられ
人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする
揚足を取るになっている。

討論、議論という世界では
揚足ばかり取っている印象しかない。
それが民主主義っていうが
相手の言っていることの揚足ばかりをとっているだけで
前向きな発言にはなっていないことに
討論、議論など意味はないと感じてならない。
言葉遊びが平和か?
行動した結果を推進、改善することに言葉をつかうべきであり
もはや民主主義のおける議論など意味がないとなぜ気づかない?

多くの企業もそして、アメリカも
トップ会議(取締役会、議会)無視している組織が強いことばかりじゃないか。

2025-05-28

龍潜

天子の位につくべき人が、しばらく位につかないでいること。
英雄、賢人が世に認められないでいること

現代人の多くは自分が龍潜だと思っている。
自分にはもっとあるべき地位につくべきなのに
それがされていない。もっと社会は自分を認めるべきだ。
そんな思いでストレスになっている。
これがストレスで問題なら、下剋上、殺人OKにすれば
ストレスは軽減されないか?

基本、社会なんてものは一部の特権階級のために存在している。
社会をよくすることが出来るのは殲滅と入れ替えだ。
小手先の改革なんてものは意味がないことは
歴史が物語っているのに、、、、
根本的に社会をよくしてはならないのが現代社会。
よくするとは今、甘い汁を吸っている者たちには
悪くなるにすぎないからだ。

龍潜と思ってストレスを抱えているなら
行動、テロ行為もある意味、人間として正当な権利だと思う。
ジョンロックのいう抵抗権でもあるのだから。

もっとも、、龍潜であるわけがないがな、愚民レベルが、、

2025-05-27

投込

投げ込む。
日本の表現だと自分の意思をします行為は
投げる
という言葉に通じる。
投稿
投票
投げ銭
と自分の意思を相手に伝えることは
投げるというのか、、
なんか、日本語の感覚がわかる。
言葉のキャッチボールという日本人独特の価値観なんだろうな。

ある意味、意思を投げ合うから
相手の会話になっていないのでは?
debateを討論とあたかも投げ合う殺し合いに感じる当て字からして
日本人は自分の意思は相手への押し込む投げるものという認識があるから
debateもうまくならないのでは?

話し合いなどが日本では非生産性な行為になるのは
日本という国民性を感じる。
別に悪いことではなく、だからこそって思っていいかも。
「背中で語れ」って表現もあるのだから。
無理にバカな外国価値観をグローバルとか言って受け入れることよりは。

2025-05-26

随伴

お伴としてつき従って行くこと。また、ある事柄に伴って起こること。
随伴する行為の目的がなんかおかしい現代社会。
手段であるのに、目的になっていないか?
随伴することで主幹者への貢献があるべきなのに
随伴していることで、自分は価値ある人間だっていいたいだけでは。
能力主義が虚飾主義になりさがっていないか!

2025-05-23

供述

被告人、被疑者、証人などが、
裁判官や捜査官に対し、ある事実について述べること

法治国家では正しい裁きを行うためには必要なことかもしれない。
それがあるべき法治国家であれば。
今の社会、法治国家って言えるのか?
民意の名のもとに法律を後付けで変えてしまうことが平気なるし
そもそも、技術進化のスピードに、その運用、制度を
為政者がついてこれないため、法制度が間に合わないどころか
足かせになるこの世で。

供述をしたところで
それを理解できない、しようとしない権力側の姿勢に
事実を受け止められることが難しいのでは?

どうもいろいろと限界を感じる今の政治制度。
結局、マキャベリのいう衆愚の末路ではないか今は。

2025-05-22

估価

読みは、、たぶん、コカだと思うが、
意味は、、、
”估”も”価”も値を付けるという意味。
つまり、値付けのこと。
現代人にとっては、売買価格というのは当たり前になっているが
漢字の歴史はその商取引から前から存在する。
物々交換から商取引に変わるときに
値付けのことを估価すると言われてきた。
今となっては使わないが、こういう時代の産物もあったわけで
言葉の盛衰を感じるねえ。