2024-10-18

文辞

文章の言葉。
言葉って基本文章ではないか?
単語で意思疎通をしている社会って、、
なかなか物事が伝わらないから5W1Hなどで文章化させるように
言語は進化してきた。
でも、、最近のSNS文化を見ていると
短文により伝わらず
感情的な発言で喧嘩が多い。

これって、社会として退化していているんだろうな。
退化という進化だけど。

2024-10-17

話法

話のしかた。
話術とどう違うの?だと
口頭での会話の展開が話術
話の構成が話法かな?
って言ってもちょっとイメージできないかも。
例で挙げれば
自分の経験を語る、直接話法
他人から伝聞を語る、間接話法
未来にあるべき姿、命令法
不確か、空想、仮定法
っていうように、状況、状態で話の伝え方を意識してかえる形式が
話法かな。

なので、話の内容が
過去なのか、未来/虚構なのか
実なのか、仮なのか
を主語、時系列をちゃんと入れて離さないと伝わらない。
もっとも、この概念が極めて弱いのが日本語なので
なかなか伝わらないよね。
そう考えると、日本語ってファンタジー世界の
精霊語
ドラゴンロア
のような神秘な言葉かもね。(笑)

2024-10-16

軽挙

軽率な行動をすること。
ただ、何をもって軽率な行動なんだろうか?
不確かな状況で自己判断で行動しないとならないことが
人生であり、軽率な行動と言われてもその時は、、、、

つまり、軽挙って言われることは
後になって、他人に批判されるときに言われる。
結果を見て
~軽挙だった
~英断をした
って言われる。

こう言われることって、どう思う。
成功事例を他人に示した?
何もしないバカから言われたくない?
僕は後者の思いだが、、
本来は、、そんな発言が耳に入らないように
行動し続けることなんだろうな、
まだまだ僕はその域には、、

2024-10-15

観戦

戦争の状態を視察すること
戦時下ではない今の日本では、
もっぱら運動競技や試合などを見物すること。

スポーツ観戦
観戦対象が変わることで観戦の仕方が変わる。
古代オリンピックの競技のみがスポーツとされてれば
屋内競技などはスポーツとみなされていなかった。
しかし、
体育館、アリーナにより、室内競技
護岸、プールにより、水中競技
遊山、スケートリンクにより、冬季競技
と広がっただけでなく
その観戦規模が
取り巻き
競技場
生放送
衛星放送
などで、どこでも、いつでも見れるようになったことで
観戦が伝播した。
今では
テレビゲームであったものが、eスポーツと呼ばれ
その試合はネット配信までされるようになっている。

今まで
「外で遊ばない奴はひ弱」
「ゲームってオタク」
「ライブ感覚のない応援なんて、ダサい」
など言っていた輩はどこへやら。

いや、スポーツ観戦というビジネスで
金さえ手に入れられば、そのスポーツがどんなものであろうと
関係ないことが歴史が物語っているなあ。


2024-10-11

端倪

物事の本末や始終、終わりと始めを推測する手掛かりや兆候
要するに対象に対してはかり知ること。 推しはかること
よく用いられる用例としては「端倪すべからず」といい
大きさ、容量がわからない意味で使われる。

現代社会は、想定、見積もり、前提などで
これからの行動予測でアクションすることが求められる。
しかし、予測不可能なことばかり。
その行動予測を見誤ると責められる社会。
予測は予測であって、確定できないのに
それに対して責めを負うって、なんかねえ。。

2024-10-10

深度

深さの程度・度合い。
深さとは何か?
地球の核へ向かって地上から掘り進んだ距離
周辺と比べて凹になっている度合い
など物理的なものもあるが、
形而上の話で
特定知識の理解度
造詣の心象風景
などに深さを表現に使う。

でもさーー
学問、技能は技術の向上、極みの高みって
深さのとは逆の上昇表現を使うよね。
UPPER DOWNNER どっちがあるべき表現?!

2024-10-09

棚上

問題の解決や処理を一時的に保留すること。
でも本来の意味は
商品のだぶつきを避けたり、値上がりを待ったりして
一時的に保留し、市場に出さないことだった。
本来の意味からすると、期を狙うため活動のはずだったが
今の意味では、期を狙うというより
そこにリソースを割かないという意味になっている。

本来の意味で使うほど、現代社会では期を狙うのが難しくなった?
というより、あまり現状把握をできなくなった人間が増えただけって
思うなあ。考えることや結論付けることになんて無力なのか現代人。

2024-10-08

幻滅

期待やあこがれで理想化していたことが
実際とは異なる現実を知り、がっかりすること。
これも、、、ある意味、思い込み、偏見だよね。

・賢い
・お金持ち
・家族思い
の人に対して
・自分たちのことを考えてくれる
・けちけちしない
・博愛精神
だと思い込んでいるが、実際には
・自分中心の考え方
・倹約で全くおごらない
・自分の家族以外はどうでもいい
だと、なんか、裏切られた感を勝手に思い批判する。
その批判に対して、何様だ、お前こそ!
ってなってしまう。

幻滅をするということは
自己中心的な発想の事実を現代人は認めず
他人に転嫁する、、ある意味、大罪的行為という自覚はないのかねえ

2024-10-07

遠景

遠い景色。
現代社会での生活で遠景を見る機会はないとされる。
だから遠景を見える環境=高層ビルの付加価値が取りざたされる。
遠景が日常で見れる環境が付加価値として売り出し
その建屋の大きさ、日照権などでクレームが出たりと。
、、、、
でもその遠景ゆえに、周りに高層ビルが乱立して
その遠景が損なわれるという皮肉な結果になったりする。

考えてほしいが、
日常的に遠景が見れるのは付加価値か、、
なら、山小屋なんてもっと価値が、、なんて思う。
見慣れてしまえば、どうでもないし
どんどん、高層ビルが建ってきて視野が狭まれる事実に
もう何十年も高層マンションに住んでいると思ってしまうがね。

2024-10-04

躍動

生き生きと動くこと。
これだけ生きやすくなった社会なのに
躍動すると口にできないような。

躍動するとは他人がその行動を評するときに使う言葉で
いい意味で
悪い意味で
使われる。

考えようによっては勝手にそう思われているだけかもしれないし
自分としてはただ生きているのに、なぜそう言われるのか!
って思うかもしれない。
なかなか発言するのが難しい熟語になっているのでは??

2024-10-03

紫電

漢字の通り、紫色の電光。
その見た目から
人間の表情に鋭い目の光。
物の形態に研ぎ澄ました刃などの鋭い光。
への変化した。
が、、
今では、紫電といえば、戦闘機かな?
紫電改のほうが有名かな。
日本語って、状態を表す表現は
特定の商品、製品名になりやすいなあ。

2024-10-02

暴風

大きな被害を起こす強い風。
気象庁では
「やや強い風」
「強い風」
「非常に強い風」
「猛烈な風」
と4段階となっている。
しかし、、ニュース速報、テロップでは暴風警報とある。

気象庁の4段階にないのは
暴風は風力ではなくて
その風でどれだけ被害、損害がでるかの警告表現で
自治体の判断で決められている。

「強い風」でも、ある自治体では、暴風警報を発令。
「非常に強い風」でも、ある自治体では、警報を出さないこともありえる。
風に対して万全の対策をしているところと
稀にしか吹かない風に対応していないところの違いなんだろうな。

危機意識という言葉では言い切れず
どこを重点的に手当てしてきたかの違いで
それを批判するのはなんでも人のせいにする現代バカの発想だろうな。

2024-10-01

定番

流行にかかわりなく、安定した売上げが期待できる商品。
転じて、代表的なもの。お決まりのもの。

定番になることは市場経済においてある意味ゴール。
存在がサブスクリプション化して
一定数の生産活動とその入金が約束されるのだから。

付加価値で当てることで市場を席捲するものそうだが
その存在がなくてはならなくするために
社会、制度、仕組みをいじるほうが経済活動としてあるべきしがたかも?
って現代市場経済を考えてしまう。