2018-11-30

優雅

やさしくてみやびやかなこと。あくせくする必要がなく、ゆったりすること。
現代、優雅という形容を使うことはあまりない。
もし使うとした場合、褒めより皮肉になりやすい。
日本語は誉め言葉が皮肉批判の意味を持ちやすいので
素直に自己表現できない、それゆえ、自己主張の仕方がおかしくなっていると思う。
言語ゆえにグローバルという欧米化になれないことにもう少し理解すべきでは?日本人。

2018-11-29

疎覚

うろ覚え
ある事柄について、覚えている(もしくは理解している)内容が曖昧なこと。
情報過多の現代社会。ひとつひとつの定義を確実に覚えることが難しくなっている。
そのうえ、うろ覚えの状態であるのに、自分の定義が正しいと言い切ることが
自己主張となっている現代。もはや定義の意義も問われることになっている。
うろ覚えであること、そうならざる負えない場合、その事柄の前後、影響を把握することで関連性を意識すれば他人との齟齬が少なくて済むんだけどね。

2018-11-28

達筆

巧みに文字や文章を書くこと。
巧みな文字?
そもそも文字とは他人と共通認識を得るための手段なので
個性を出してはならないものなのでは?
まして、それを手段としての機能に特化したフォントの存在に
達筆とは言わず、人が書いた個性的なものを達筆という。
なんか、人間の価値認識が僕とは合わないなあって思ってならない。

2018-11-27

無垢

けがれが無いこと、潔白で純真なこと。
熟語を訓読みすれば、無いアカという意味で、汚くないといえる。
無垢な状態、無菌状態を偏重する現代。
その状態であることが果たしていいでろうか?
そもそも、自然界においてその状態は異常であり、
人工的に作り出した状態に近く、かなり不安定な状態といえる。
自然界のバランスを考えれば、無垢というよりある程度自然体がほしい。
考えてみれば、無垢を希望しながらも自分たちの思う前提条件がないと不満を感じる消費者が多く、その前提条件は他者からみれば無垢でなくなるものと思うのだが、、、
無垢≠自分の都合のいい汚れのなさと思い込むのはどうだろうか?!

2018-11-26

入門

師について、その弟子(でし)となること。学びはじめること。
現在では師ではなくメディア、媒体にその役割を移している。
入門書、入門マニュアル、入門者コースなど、、
でも、実際問題、入門は入門にあらず。
未経験者からの利益簒奪手段に過ぎない。
考えてほしいが、入門メディアを用いて身になったことがあるか?
入門ではなく、必要に迫られてからその技術を使ってみて、試行錯誤して
身につけることが真の意味での理解になる。
入門という言葉で、お金を吸い上げるビジネスに付き合いつづけるのは
日本人の悪い習慣って感じてしまう。

2018-11-22

乾燥

物に含まれている水分がなくなること、かわくこと。
日本において乾燥という概念が状態であることだが、
砂漠地帯ではそれが定常であるので乾燥という概念がわからない。
むしろ、湿っているという状態が日常ではないという概念となる。
日本でさりげない、当たり前の概念は地球規模では通じない。
いやグローバルで考えると言うことは当たり前がないので
考えること自体無駄ではないか、、、根本的にグローバルとか言い出すことは自己主張のように感じるのは僕だけ?


2018-11-21

洒脱

俗気がなく、さっぱりしていること。あかぬけしていること。また、そのさま。
、、ってどういうこと?イメージしづらい。
俗気?
あかぬけ?
それって、主観的というべきであり、思い込み、言い張りの世界だと思う。
他人と共感を求めることを強く意識する現代、
共感しづらい言葉は使いづらいなあ。

2018-11-20

負傷

傷を負うこと。
勝者だが負傷している。勝ったの負けたの?
と言いたくなる。この負という文字はマイナス、受け身の意味を持つ。
受けてしまうと言うことは負けという意味にも通じる。
だから、攻め続けることが勝つと言うこと。
でもさー、一方的責め続けて相手を負傷させてもカウンターで
息の根を止められることがあることを考えると、受け身、受け流すことも
重要って思うのに、なかなか現代の価値観はそれを認めないよね。

2018-11-19

雨具

雨の日に体が濡れないように防護する道具や衣服。
でも、この定義って日本の価値観だといえる。
雨具を上半身に集中できるのは、舗装されているからであって、
他の国では雨で道路がぬかるんで歩けなくなるからそれ用の履物を雨具とする国もある。
また、雨量などから傘などでは身を守れないからすぐに乾く服装が雨具という考える発想もある。

日本人の考える道具の概念が他国のインフラ、気象環境で大きく異なる認識をもっていないで、思い込みで話すと相手の文化を否定することにもなるなあ。

2018-11-16

慢心

心の中で自分のことを自慢すること。おごり高ぶる心。
人間というものは本当に身勝手なものだ。
自信を持っている人に対して「慢心していて怪しい」
不安を抱えている人に対して「安心して任せられない」
と言い出す。
僕からすれば、他人なんてそんなもの。
信じるのは人ではなく結果であり、その結果で人の存在など、、

2018-11-15

塵芥

なんて読むか?
チリアクタ?ジンカイ?
どっちも正解。
つまり、3つの表記が日本にはあるといえる。
そのうえ、trushという英語表記も平気で使うし、
それをカタカナでトラッシュっとか言い出す。
一つの意味なのに何種類も言い回しがある。

そして、この意味が、、価値のないもの、ごみという意味。
何とも難しいなあ、日本語。

2018-11-14

出世

世間に出て、人に知られるよい地位・身分になること。
現在、出世をしたがらない若者、、いや社会人が増えていると言われる。
給料UPより責任を持つことのリスクが大きいとか言われているが、、
いろいろな視点から考えてほしい。
~いろいろなものが無料化している市場において高額所得が必要か?
~一人だけ出世するとSNSでたたかれるリスク
~そもそも出世するために気に食わない人間に頭を下げる必要が
なんていろいろと出世する意味がないと思われる。
かくゆう自分として、出世することで得られるものがないから
独立している訳であって、、現代社会、、、いや組織行動そのものの意義が問われているからこそ、出世というものに価値がなくなっていると言える。

2018-11-13

挺身

一身をささげること。自分の利益をかえりみずつくすこと。自己犠牲。
日本の道徳的価値観では美徳だが、グローバル、経済視点だとそれは愚行になりやすい。でも考えようによっては道徳的にも愚行ともいえる。
献身的に相手に捧げてしまう行為はその相手以外の存在からすれば、その献身のために当人の存在が蔑ろされてしまうと関係性、利害関係が壊れてしまうのでとても容認できない無責任なことになる。そして、捧げている相手とそれ以外の存在が無関係、むしろ敵対であればあるほどそれは心的に嫌な状態になる。
現代社会、自分のおもう美徳が必ずしも他人に敬意をもって受け入れられるとは限らない。

2018-11-12

高揚

精神や気分などが高まること。また、高めること。
人それぞれ、高揚するかどうかのポイントは異なる。
しかし現代人は共感を他人に求めるので、その高揚をいかに伝えるか、感じるかが問われている。なんか、、面倒な時代と感じるとともに、バカらしく感じる。
個人主義のくせに、他人の高揚に共感しないとならないって精神的おかしくなりやすい環境すぎないか?

2018-11-09

衝撃

突き当たって激しく打つこと。
物理的、精神的にも使われる。
ただ、衝撃かどうかは相対的な感覚になる。
日常的、常習的になっていれば、その状態はなんの変哲もないことだが、
あまり経験したことがない状態でその状態になると、衝撃感を味わう。
ということは、衝撃というものは他人と共感できないといえる。
自分が衝撃的だったと語ったところで相手には響かないと思うべきだと言える。

2018-11-08

外販

会社などを訪問して商品を売ること
自社用で開発、使用しているものを
「これはいいものだから売ろう」
という発想で外販をしたがる企業が多い。
しかし、それは自社視点。
自社って他社、市場において付加価値がある特別なことをしているから
存在しているのであって、その行為が他社と共通しているかどうかは?

だから、他社要件について理解できなかったり
理解できてもその要件を実現させるために機能改修を行うと
機能連携が狂ったり、改悪になったりする。

はっきり言おう、自社要件を他社に売るのではなく
他社から欲しいとなるまで売ろうとするなっと。
売ろうとすれば、それは足元を見られる。
買おうとすれば、相手は我慢、制約を受け入れるだろうから。

2018-11-07

優先

他よりも先にすることになっていること。他に先んずること。 
これって効率化?それとも差別?
現代社会の矛盾を感じる。
個々人、各個別組織がその判断で優先事案、行為を決めているのに
そこに気に食わない存在が自分が優先されないことを差別、ハラスメントと騒ぐ。
優先することこそ、ビジネスそして社会発展になると僕は感じる。
優先することだあえて差別を生み、それによる優越感、憧れを抱き人は上昇志向になるべきであり、それで劣等感、妬みを抱き講義する活動は社会発展を損なうとなぜ庶民は気づかない??

2018-11-06

妄執

悟りきれず、心の迷いによってあくまで離さないでいる執念。妄念。
人間の過去へのプラス感情は妄執でしかない。
そこには戻れないし、その環境になることはない。
それを是としたら、今が否として、存在否定に通じることになる。
しかし、人間は強欲の本能で生きている。
過去のよかったこと、今の続く都合のいいことを是として
よかったことの裏にあったつらいこと、今の自分が陥った原因を否とみなす傾向が強い。
その傾向を妄執と言い放ってしまうとただ荒れ狂う暴徒になるだけで
本当に人間の業の深さを感じてならない。

2018-11-05

無礼

礼儀を欠くこと。失礼なこと。
誤解を恐れずに、あえて定義しよう。
それはハラスメントの対義語になったと。
ハラスメントって結局は無礼なこと。
相手の人権を否定し、自分の権利を主張すること。
ただし、それが客観的に否定に値するものであると認められて
始めてハラスメントとなるはずである。それが権利侵害への手続きだ。
しかし、無礼の概念を忘れただ自己主張を繰り返す根拠に
ハラスメントを多用することは、それは権利の濫用であることになぜ社会は気づかない。
ハラスメントを認め、無礼を放任することは
けじめ、秩序崩壊になるということを忘れたときに気づいてももう戻れない。
無礼の先は混沌しかないのに。

2018-11-02

憤慨

ひどく腹を立てること。けしからぬ事に対していきどおりなげくこと。
現代、憤慨するほうが悪いとされて、
それを導いた原因の存在への責任を問わなくなっている。
つまり、怒らせたもの勝ち。
暴力反対とかいう前にこの状況がおかしいってなぜ現代人がわからないか
不思議でしょうがない。
ましてだ。ハラスメントということを認めるっていうことでそもそも
運用不全を起こしている社会矛盾にバカらしさを感じてしまうなあ。

2018-11-01

高価

値段が高いこと。
市場において、同カテゴリ内で相対的に価格が高いことに言われる。
同カテゴリであれば使用用途は同じであり、
この時代、使用用途においては差はなく使えるものが多い。
だから価格差はそれぞれの価値観の違いになるわけで、
「高価なものの何がいいのか、そんな対価に意味がない」
「高価なものの価値がわらない奴が生きている意味がわからない、文句があるなら
 買って使ってみろ」
と互いが譲らないことになる。
価値って相対的ではなく、人生観の絶対評価だとつくづく感じる。