2018-04-27

開設

新しい施設や設備などをこしらえること。
また、新たにその運用を開始すること。

開設することは案外簡単で、逆に閉鎖するほうが難しい。
難しいから、放棄された状態になっていることが多い。
人間、新しいことには興味を示すからやる気になる。
しかし、終わらせることについては、全くやる気を示さない。

子供のお片付けではないが、結局、人間という動物は片づけをしないのである。
神瞰する僕から提言すれば、
開設するときは何かを閉鎖することを義務づけようにしないと
社会全体がいろいろな放棄状態で、開設する環境がなくなるのでは?

2018-04-26

業物

見掛けはどうあれ、切れ味の鋭い刀剣。
転じて、良品や名品に与える褒め言葉。
業物はわざものと読むが
技物とは書かない。
業と技との違いは?

技は、その結果が当人に付随するが
業は、その結果がコトモノに帰属するもの。

個人としては技を求めることはいいことだが、
社会という概念では、業を残すことが偉業となるので、、
僕みたいな孤高な生き方をしていると、技と業、どっちを目指すべきか?

2018-04-25

散文

定型や韻律を持たない普通の文章。
型にはまった文章に対しての散文。
しかし、現代社会、文章そのものになっていないものも多い。
散文と言えども文章であり、
文章を書くのと文字をつなげるのはちょっと違うのではって思うこともある。
散文でも文章を書くことは結構重要であり、
それが読むために、読解力につながり、最近でいえば
AIに勝て自分の存在の立証にもなる。

、、、のだが、、まーー、
人間の歴史、、話し言葉が文書を駆逐してきたから必ずとも言えないがね。

2018-04-24

来歴

物事が過ぎ経てきた次第。
どうしてそうなったか、、それを知ることが重要なのだが
情報化社会、そして多くのログ、断面がそのままに残る時代。
来歴ではなく、誤った情報として出回ることが逆に問題になっている。

来歴があるということは、来歴になっている情報は検討経緯であり
その内容は確定情報ではない。
しかしログがきれいに残っていて、それについて何も説明がない
第三者が見るとそれを来歴とみなさず、確定情報として行動をしていまう。
そして、この社会は自分の非を認めないことが評価につながる価値観。
「それが来歴とは思わなかった」
「自分が動いてしまう環境がおかしい」
と平気で言えてしまう。

来歴を残すことで過去を知りたくても
過去である事実と現代の区別がつかない情報量ゆえ、
ある意味、誤判断の温床になるのでは、意味がない。
来歴や検討経緯についていろいろと再検討すべきと思う。

2018-04-23

数方

小動物の数え方、、
日本人が勘違いしているのだが、匹、頭、尾は単位ではないこと。
そして、この数え方は日本語としてどうするかは大きな分水嶺だと思っている。
フランス語の名詞の性差、、と同じように論理ではなく、
国民性、、というかその国家の思い込み感性ゆえ他国から理解しづらい表現は
グローバルという観点からすれば、認めづらいところである。
フランス語のようにオリンピック公用語という地位を得れば、
その権威を振りかざすことはできるだろう。
しかし、日本の匹数のような数方、、
1匹
1頭
1尾
1羽
1体
~カピバラは匹、頭?
~マグロは、匹、尾、本!
~牛肉は肉としては1体で、部位は点?
と日本人でも理解できないものを
外国の方、そして未来世代に引き継がせることができるのか?
そもそも、それを引き継ぐことに意味があるのか?
日本語というものの本質、そして共通コミュニケーションとして
有様が問われるだろうな。

本来ならば、この数え方を正しく教えることが日本人教育なのに
英語の過去分詞(past participle)の語形変化が得点、評価対象になるこの日本において
得点ならない、数え方など価値がないとなるのは当然ともいえるので。

2018-04-20

引責

責任を自分の身に引き受けること。責任をとること。
現代社会において、引責になりやすいのは
情報を集めることといえる。
現代でなくても、法的には情報を得る=知る=悪意とされて
保護されないのは事実だ。
法的でなくても、知っているのにその情報を使っていないことは批判される対象
つまり引責につながる。
ただ、情報がとりやすい社会、そして、個人主義の社会
情報を集めて何もしないこと批判されても
「なんで批判されるんだ、知らないほうが悪いのに、批判することを批判する」
って徹底的に戦う姿勢を多くの人が示すようになっている。
社会、時代が変わっているという思いもあるが、
引責という概念がないとなると、責任、それに伴う信頼と期待も失われた
社会が社会といえるだろうか、、

2018-04-19

才女

才能のある女性。

女だからバカにしているのではなく、バカだから怒っているのだが、、
「女だからバカにして、男女平等のはず」
って言い出す。
男女平等だからこそ、バカを平等に怒るが、
この狂った現代社会、、女性であることを違う意味で武器に使うバカが本当に増えた。
ある意味、男女平等をうまく理解している才女は
相手が男性であること、自分が女性であることをうまく利用することができている。
「女なのに、差し出がましくてごめんなさいね」
って言われた男は逆に
「いえいえ、女性に指摘していただけるなんて」
って言わざる負えない。
これこそ、、女性で仕事ができる証拠だ。

大した能力もないのに、女であることを全面に出すバカを見ると、、
本当に何をもってセクハラか、、
女性と権利を濫用しているという逆セクハラがなぜ認められないのか、、不思議でならない。

2018-04-18

隆盛

栄えて盛んなこと。
音はリュウセイ、、でも訓読みはタカモリ。歴史の偉人になってしまう。
同音意義
漢字上は同じでも、一般意義と人名。
日本語に限らず、
言語というものは結構同じ文字列で別の意味を持つことが多い。
その理解、憶測の精度が高い人ほど、言語理解が高いといえるかも?


2018-04-17

通念

世間一般に共通して認められている考え。
でも、これって、個々人の思い込みであり、
それを全面に出してくる人間ほど、社会人として常識知らずといえる。
価値見解の多様化、国際化、技術の高度化で
通念という概念の普遍性は崩壊した。
当人がそう思い込んでいるという過去への執着、自己弁護の概念である。
その概念に付き合う人間は少なく、当人が疎外感を感じる。
世間一般に共通 という定義が 個人的で他に通じないって悲しいことになっている。

2018-04-16

辛味

刺激的な味。
激辛ブームとか言って、辛い物のみにフォーカスしているが、
生物学的に辛味の意味を分かっている輩はどれだけいるか?
ここにも書いてきたが、穀物、炭水化物は脳の栄養であり、
その穀物を多く栽培したところが人類文明の発祥の地になっている。
だから、穀物を多く摂取することは人間の進化につながると
本能的理解しているのである。
しかし、味わってみるとわかるが穀物単体だけでは摂取するには
味気ない。そして味覚的に飽きやすいのも事実。
米だけ、小麦粉だけの大量な摂取は難しい。
でも、穀物の炭水化物を多くとることをしたい人間は考えて味付けを覚えた。
辛味はある意味、刺激物という味覚は危険な味と認識している。
それを取り込み、生体的に中和させる反応から、多くの穀物摂取を試みる。
結果的に多くの穀物を摂取することになる。
それが辛味の正体である。

炭水化物ダイエット、激辛ブームでそれだけを口にする。
過去の人間からすれば、、愚かな行為でしかないのだが
それをわからず刹那な思い込みの現代人。
人の歴史、今まで積み上げてきたものへの冒涜と理解することはもう無理で
ある意味、種としての後退期なんだろうな。


2018-04-13

善意

他人や物事に対して持つ、よい感情・見方。好意。
だが、現在ニュースで使われるのは
法律関係の発生・消滅・効力に影響するようなある事実を知らないこと。
である。

知らないのだから、悪いことをしている自覚がないので
善意という意味だが、
周到な準備をしてきた人間に対して、
何も準備していない人間が
「何も聞かされていないのだから、優遇されるべきだ」
と当然にいいまかり通る社会は健全か?

情報化社会、意識すれば手軽にそれ相当な情報が手に入る。
しかし、それを怠っている人間ほど善意、情報弱者と強気に
言い張ることにバカらしさを感じる。

知らないと知ろうとしないは別ってことを
バカに示す方法は、、、やはり体罰ではないかなあ。

2018-04-12

釣合

幾つかの物・事の間のつり合い。
日本人は均衡を保つことを良しとする。
それがチェックアンドバランスって、、勘違いしているから。
能力主義などでは、一方を評価すると冷遇された側に温情を与えることを考える。
しかしだ、本当の均衡は信賞必罰でなくてはならない。
賞すべき功績のある者には必ず賞を与え、
罪を犯し、罰すべき者は必ず罰することが
善悪の均衡であり、人間としての均衡である。
温情と考える行為は、行為、結果で成り立つ社会の均衡を崩す。
それゆえ、社会全体のチェックアンドバランスがおかしくなっているのだが
それが国家レベルでわからないのが、、悲しい現代日本なのかなあ?

2018-04-11

文意

文章の表現しようとしている趣旨。
「そういう意味じゃないよ、ここに書いたのは」
なんて平気で言う。
、、、そう読みとられる文章を書いた側の責任で読み手を責めるのはおかしい。
最近どうも、書いた側が言い張ることが多く、
それがコミュニケーション障害ではないかって思う。
自分で伝えておいて、そうではないっていうこと自体が
すでにコミュニケーションとして問題なのに、
その当人が
「お前らとは本当にコミュニケーションとれないなーー」
って、、本当に言ったもの勝ちのコミュニケーション障害社会だなあ。

2018-04-10

手引

力添えをしたり、導いたりすること、
転じて、初心者を教え導くこと。手ほどき。
今の言葉で言えば、マニュアルがそれにあたる。

現在、業務マニュアルが見直されている仕事に多く関わる。
それは従業員への再認識、、というわけではない。
人手不足、そして、対人的抗争をできるだけ避けるために導かれた結論は
業務を従業員以外にさせることになっている。
読者の多くは、IT、機械による自動化、RPAとか思いつくかもしれない。
しかし、そうではない。
業務をするには、、、、顧客だ。
いかに、顧客に業務を代行させるのか、そのためにどう誘導していくか。
それが現代のIT化、モバイル化と言っていいだろう。
自分でやるから手数料の無料化、24時間対応を実現できるのは
ひとえに人件費の問題ともいえる。

手引、今までは従業員の業務成熟度向上だったものが
顧客が自ら業務を行うようにさせることになっている。

あれ?では人件費=給料はどんどん下がる方向なのでは?
物価上昇や賃金アップという表の顔と人に払わない裏の顔、
この経営者への思い、、なんか手引があるのでは?

2018-04-09

保母

あえて保育士という言葉を使わない。
それは保育をする母という意味で述べたい思いからである。

保母の妊娠の順番が問題になっている。
なんか、順番があること自体問題になっているが、
逆に、その順番を守って服務してきてこれから自分の番と思っていた
先輩保母の気持ちは?
ルールを破りに勝手に子づくりした人間が職場環境を乱すことが正しいのか?

職場にはそれぞれにルールはある。
そのルールは商法にあるように商慣習という内部ルールとして尊重される。
そのルールは他任から見れば、おかしいと思うこともその職場では正しい。
考えてみれば、クリエイティブな環境ではおもちゃで遊ぶこともOKというが
事務職の環境下でおもちゃで遊ぶことはしないだろう。
でも、それぞれの環境を批判することは、、、たまにバカ論議があるけど、、
それぞれを尊重していく傾向になっている。

保母という職は、子供が好きだからしている方が多い。
だから、自分も子供がほしいと思いの方も多い。
でも、自分が妊娠、育児に入ると
他の保母に仕事的な負荷、迷惑や
今面倒を見ている子供たちの親の気持を考えるべきという
職責、そして母性が働くのではないか?

この事実を無視して、自分の思いで子づくりをして、
それを謝れば、強いてはそのそのルール自体が問題だという発想は
職責だけでなく、親として子を育てることにかなり欠陥を感じる。

自己主張の正当化ばかり特集するが
公共の福祉、社会的責任を果たしている方々への経緯や
その行為を踏みにじる自己主張への糾弾をもっと表すべきでは?

2018-04-06

本領

本来の持ち前。
もとからの領地。代々伝えられた領地。の意味から
自分の住み慣れたところだから存分に力を出せるという意味に派生した。
これって日本語だけではなく、ホーム、アウェイって言葉が全く同じである。
日本語圏だろうか英語圏だろうが
人間は自分の領土が一番ということが本当によくわかるね。

2018-04-05

命令

上位の者から下位の者に言いつけること。
でも英語では、command。
プログラムの実行起動もcommand。
なんか、命令が悪い言葉になって久しいが、
命令をするされるということが、社会において必要不可欠である理解が
日本人は本当にできていない。
命令を出すから、その実行指示責任を負う。
そして、命令を忠実に実行することが評価対象であること、それを誇りに感じることが
民主主義の責任論だと思う。
日本人の多くが思っている
命令をせずに、お願いとか理解しあうとかいう発想。
、、、、、本当にバカではないか!!

2018-04-04

洋館

鎖国されていた日本において、珍しかった西洋建築の建物。
ある意味、お金持ちかつ治外法権の象徴的な存在だった。
現在において、逆に古めかしいゴシック建築の館を洋館と指し
骨董品扱いになっている。

洋館に住もうと思う感覚は現代人にあるのだろうか?
確かに憧れるかもしれないが、その維持メンテナンスそして
その建物作りからくる現代社会生活への不便さ、
暖房、電気、そして、ネット環境など。

憧れを実際にやることに難しさを僕は洋館の存在に感じる。
一度、洋館で過ごした時期があるだけに、、

2018-04-03

幼少

おさないこと。
最近の子供は
肉体的成熟の速さ
過剰なほどの幼児からの学習
そして、ネットが身近で幼き時から調べられる環境。

幼いから庇護すべき対象となるが、
「自分は幼児だから、守られるべきだ」
なんて口にしている子供に対して、
ガキだからしょうがないという意見もあれば、
わかっていて、あえてそう行動するのはもはや責任能力を問うべきともいえる。

昔は成人まで成長することが少なかったから幼少を守った。
そして、成長することがないかもしれないからたくさん子作りした。
でも、今は、、、だったら、幼少期だからって守る必要はないのでは??

2018-04-02

文治

武力によらず、教化・法令などによって世を治めること。
現代国家の有様となっている。
そう。なっているだけでそうではない。
そもそも武断なきところに治安なし。
国際的にも、なんだかんだで武力で押さえつけている。
今の日本をはっきり言えば、治安になっていない。
統制なき自由は、、ただの混沌である。
法令をなぜ守るか?
それは武力統制されて命を失うより、
その法令に従っていることが、身の安全を守ることにつながればこそで
今の社会では、法律は簡単にそのときの民意で覆されかねない。
武力統制がないから民意というものが幅を利かせているが
その民意なぞなんの力もないのに、、
地政学的、そして、人間のマインド的に
そろそろ平和、民意が崩れだす。
文治はそもそも破綻しているだけに、
その時に備えて、身の安全を守る手段と実行力を隠し持つか
それがこの先の本当に意味でのサバイバルと予見ができていまう。