2017-10-31

気遣

うまくゆく、または失敗しないように、気をつかうこと。
気をつかう方向は他者に向けてであり
その結果は他者に帰属することが多い。
つまり、自分自身の成果にはならないことが多く、
日本人の奥ゆかしい価値観であった。。。そう過去形。

気遣いが社会を悪くする。
気遣いを他人に強要させる輩が能力主義でうえにいくこと自体
社会という枠組みが破綻している。
そこで破綻しているのに、上記の輩が権利を主張するこことが
混迷を産み出す。

話せばわかる、、
それは
・共通言語
・共通価値観
・共通道徳観
という極めて稀、、つまり鎖国という状態だった日本では成り立つ。
欧米のいう話せばわかるの真意は
自分達の言語、価値観、道徳観に合わないものを殺しても問題ない。
という前提である。それの事実を無視して、通じると思い込む日本人の価値観は
どうだろうか?

怪奇

あやしく不思議なこと。
この言葉、、実に流動的というか、主観的だ。
若者の奇抜なファッションに対して、年寄りが怪奇に思うと同時に
その年寄りの年老いた姿を怪奇と言い出す若者。
互いに互いを失礼と言い出すこともそう珍しくない。
自分から見て他人が怪奇であるということは
他人の感覚もまた同じ。
でも、自分が正しいのだから怪奇であるわけない。。
この発想って、六道輪廻の餓鬼道そのもの。
現代が餓鬼道に落ちていること自体、神瞰する僕からすればまさに怪奇そのもだがね。

2017-10-30

星取

白と黒の記号で試合の勝敗を表すこと。
白星〇 は勝ち
黒星● は負け
日本人なら、知られていることが多いといえる。
国技、相撲の勝敗がこれであらわされるからだ。
こう書いているように、必ずしもみんな知っていると思うのはリスクかもしれない。
若者、そして、外国文化主義の人は知らなくて当然という言い方してくる。
共通認識と思っていることが通じないことが多くなっているからこそ
コミュニケーション能力という言葉が流行っているといえる。
暗黙の了解、自明なんてことが使えないのはいいことか?悪いのか?

2017-10-27

電費

電気自動車の走行距離/消費電力
近代までに化石燃料自動車の燃費と等しい概念。
ある意味、一回の補給でどこまで走れるかの指標でもある。
これにより、その自動車の活用レベルが決まるといえる。
今までの電気自動車はその電費はバッテリー依存、化石燃料自動車でいえば
ガソリンタンク容量依存に等しかった。
だから、バッテリーの容量で決まるものとされてきた。
しかし、電気は必ずしも
ガソリンの給油のような定点補充するものとは限らない。
電車のように動きながらその電気供給をすることも可能である。
だから、道路上に非接触充電器が埋蔵されていたら、
バッテリー容量ではない基準で電気自動車を評価できる。
馬車から自動車に変わった大きなポイントは
ガソリンスタンドの存在と思っている。
ガソリンスタンドが世間に多くあったからこそ、自動車で走り続けることができたゆえ
今の反映を導いた。
そのガソリンスタンドから次のガソリンスタンドまでの時間、距離を争う概念で電費を見ているうちは
まだ、電気自動車が化石燃料自動車に追い付けないだろう。
その給油、、電力補充の概念を非接触充電で実現することで今までの評価基準を覆すことができたとき
はじめて、電気自動車が化石燃料自動車から勝ったって宣言できるのではないだろうか?

2017-10-26

運用

ものをうまく働かせ使うこと。
資産運用、システム運用など、僕の身の回りに運用という言葉はあふれている。
一言で運用というが、そう簡単なものではない、、と思いがちだが、
運用の本質、何をどうするかを定めないと、、つまり運用目的をしっかりさせないとならない。
だから、
~お金を増やしたい
~システムをうまく回してほしい
という言葉や依頼がまかり通ることこそ、運用という概念否定であり、
社会として運用という概念をバカにしているから、
運用という概念に仕返しされているのでは?

2017-10-25

試着

服などを買う前に、自分のからだに合うかどうか試みに着てみること。
通信販売ができないデメリットのひとつとされている。
実際に見て、触って、着てみないとわからない。
その事実は事実だが、ではそれを行ったからわかるのだろうか?
試着時の時点的な評価であり、経年劣化による、色合い、ほつれ、縮具合などは
わからないものである。
そして、試着させるからこそ、購買チャンスを失うこともあるのは
経済循環の観点から問題だ、購買することが目的であり、買わなくなる可能性がある。
また、試着した商材は、、ある意味展示品扱いにもなり、販売機会を失うことにもなる。

試着という商活動、、考えようではとても不経済なこととみなせなくない。
今までの当たり前の価値観から考えから変わる時期なのかも、今は。。

2017-10-24

精細

念入りでこまかなこと。
一見すると、丁寧な仕事のように感じるが、
現代社会、精細であることが正しいと限らない。
精細になればなるほど、細かすぎて本質が見えない。
小事にこだわり、大事を見失う。
そして、自分の思い入れがあるほど精細になるが、
他人の興味はあまりそこにないと失望感、強いては一方的な裏切り感になる。

技術の進歩、人間の職制の細分化は個々人の視点を精細にする。
しかし、個々人ごとにその精細な視点が異なるから、共感性は失われることを
忘れないようにしないとならない。

2017-10-23

過信

自信を持ちすぎること。信用、または信頼しすぎること。
これが自分の能力であれば、自己責任だが他力本願なクズが多い。
~自分は認められないは社会のせいだ
~なぜ自分たちが救われないんだ
こんな発言が多すぎて、、、逆にこの言葉に応えないほうが悪いような風潮もある。
バカすぎないか?
他人を信じていないくせに、自分の意見を優先さえようとする自己中心主義。
過信をするのであれば、自分の能力以外すべて、外的要因と割り切って
利用、制御すべきであり、甘えた発言は一切あってはならない。
愚言を口にすることの愚かしさを教えない社会なのだから
それは身をもって、場合によってはその生命すら持って贖ってもらわないと
社会、、気球規模の自然淘汰の示しがつかないだろうに。

2017-10-20

資格

仕事上任務に就くために必要な条件として公にみとめられる能力。
日本の場合、資格試験ということで、公私の機関で認められた認定を求める。
、、、、これってどうなのかなあ?
資格の目的は、社会に高次元に高めることを促進するものであり、
その資格を持つことは責任のはずだ。
しかし、試験という形で、その資格を権利にしてしまうと
社会貢献どころか、その私的活用そして、試験に受かることが目的に
異化してしまう。
それが今の日本で、、資格を持っていても、試験にだけ強く、
その資格を使った技能が全く精通していない人間が実に多い。
逆に試験を受けずに、ずっと現場でその業務に従事している人は
試験勉強の時間がもったいないと思う。

技能はないのに有資格者、
技能を手に入れるために、試験を受ける時間をもったいないと思う無資格者、、、
ちょっと日本は狂っているなあ。

2017-10-19

歩道

車道に対し、人が歩くように区分された専用部分。人道。 
歩道は歩く道である。
だから、
~いきなり立ち止まること
~自転車が高速で走ること
~車が駐車すること
ありえないのである。それをするためには歩道から出るべきである。
現代人はこのあり得ないことを当然のように
逆にそれを指摘されると逆切れするバカになりすぎて本当に手に負えない。

~じゃあ、私は歩道で靴ひもを結びなおしていけないの!
~自転車に車道に走れっていうのか!
~道路に車を止めて駐車禁止で捕まったらどうしてくれるんだ!

バカすぎて話にならないレベルが蔓延しすぎ。

2017-10-18

収斂

縮むこと。縮めること。収縮
そこに集めること。

収斂という言葉の使い方は難しい。
意図的に収斂させていくことは結構難しいとか、
反対に無意識に収斂していくものを分散させていくことはもっと難しいとかね。

収斂という言葉を修練することが必要かもしれないが
その習練をする場なかなかないね。

2017-10-17

外典

ユダヤ教・キリスト教関係の文書の中で、
聖書の正典に加えられなかった文書。正典とは逆の意味である。

しかし、現代社会は外典であるApocryphaのようなものに価値を感じる。
メインテーマより、サブストーリー、隠された真実の糸口に人の思いは馳せられる。
人間の知的好奇心はみんなが知っていることよりも、
その隠された真実や多くの人が見ていないものに興味をもつ。

まーー、この知的好奇心は日本語ではすけべー根性といわれたりもするがね。

2017-10-16

空位

ある地位にだれもついていないこと。また、その地位。
でも、現在の社会情勢から考えて、
空位という存在を認めることこそ、その組織、統治体制が非効率的であるといえる。
数少ない、そしてコストマネージメントにうるさい現代社会で
空位の存在を認め、いつかはそこの地位を使うというゆとりを持たせることが
放漫経営としか言いようがないのだが、、、バカ経営、バカ管理は
全くわかっていないでその前提で、効率化とか言い出すから
手に負えないねえ。

2017-10-13

講座

ある程度まとまった講義、
その意味がいろいろと派生して、書籍、組織、団体にも使われ始めている。
しかし、講義、口座、授業の違いはなんだろうか?
まーこれは
授業 lesson
講義 lecture
講座 seminar
の和訳の時期、翻訳家の違いがこれを導いているので
英語の意味の違いをも理解したうえで、和訳に日本導入されてからの
意味の変遷を理解しないと明確なことを言えるものではない。
というより、日本人的な感覚で使い分けるしかない言葉になりつつある。
このことを考えると、やはり日本人は論理より感覚なんだろうな。って思う。
しかし、それが悪いと一概に言えない。
ブルースリーのジークンドー(截拳道)にある
~考えるな、感じろ、、Don't think! Do feel!
がある意味、日本人には正解かもね。



2017-10-12

子供

自分がもうけた子、親と対をなす言葉。
子供という言葉にはいろいろと言いたいことがあるが、
まずはこの言葉の生成である。
子供は、子と供とで成り立っている。
子は、子そのものの意味だが
供は、従者、複数人の意味であり、
本来であれば、1人に対して子供とは文法違反である。
しかし、その誤用が一般化して今では、子供たちと2重の複数形になっていたり
と間違いを無理やり正しくみなしている。
、、、この間違いを無理やり正しくみなすが、
日本における子供に対しての認識であり、
~子供の人権って、人権の劣化版のはずを、人権以上にとらえている
~他人に迷惑をかけるのに、料金が安く設定されている
~犯罪に対して、子供だからと免責になる
上記の内容が当たり前と思っている日本人の認識って
日本人の好きなグローバル基準からすると異常なのことを気づいていない。
ある意味、日本人の甘い考え方が世界レベルで子供なんだよなあーー。

2017-10-11

自律

自分の気ままを押さえ、または自分で立てた規範に従って、
自分の事は自分でやって行くこと

自律と自立の違いは?
結構難しい。上位互換とか言い出したりしたりするが、
こういうものは漢字の意味を追うしかない。
律は規律のように、正しくあり続けることである。対して
立は起立のように、独でバランスを保って直ぐ天に向かうさまといえる。

気持ちを上に向かうか、内面からを整えるか、、
いろいろな意味で自分をあるべき姿にあれということのようだ。
なかなか自分自身でそれができるようになるのは難しいということは
共通しているのかな?

2017-10-10

多忙

非常にいそがしいこと。
多忙で身が回らないと話を聞く。
でも、それはある能力の欠如ではないか?と思ってしまう。
それは、カプセリング。
いろいろとある仕事要素をいくつかにまとめる。
まとめる単位は
時間的
スキル的
そして、報酬的など
いろいろなパッケージ基準はその人の裁量になるのだが、、
そのうえで、
そのまとめたものパッケージをカプセルとして自分および部下に渡し
タイマー起動させればいい。

僕からすれば実に簡単なことなのだが、
それがわからないどころか、学力だけ高く昇進した人間は
その概念がなく、部下や社会をバカだバカだというだけで
ただ忙しいと言って仕事をスタッグさせている。。

いくら個人スキルが高くても
自分の時間配分
部下のスキル把握
顧客、上長への依頼タイミング
など測れずで、忙しくしている人間はバカ、クズ以外なんでもなく
彼らを助けることを求められることに対して、
下手に手伝って、僕の足元に及ばず文句ばかりだから
つぶれてくれるまで昼寝していることが社会全体的に適切と考えてしまう。
僕の神瞰視の良くも悪くもでもあるけどね。

2017-10-06

台帳

商店や企業で、商品の売買額や賃金などを記録しておく帳簿。
~なぜ台帳に記帳するのか?
これが台帳作成の目的である。
最近は、その目的を無視して
~いいからつけろ
という意見が蔓延して、行うべき活動より意味のない記帳活動が重視される。

台帳記帳の目的は大きく、移動推移、抽象的数値化、相対比較など、
机上で書面レベルで確認できることなのだが、
それを使う人の意思、記帳する人の意思の疎通がない現代社会ゆえに
意味がない、使えないことばかりだ。

2017-10-05

大事

重大な事件。容易でない事。大変な事。
「大事を取って、休みなさい」
とは、
もともとは、大事をとるとは、
軽々しく物事をしない。用心し、自重することであり、
その大事な存在を御身とみなしての言葉である。

何をもって、大事かは相対的としか言えないが、
大事という言葉を客観的に使う場合は
相手への気遣いがあるべきといえる。
基本、自分の大事なことという表現を他人にいうのは
無礼、恥さらしな表現なのだが、現代人の身の程を知らない振る舞いからすると
もう理解できないんだろうけど。

2017-10-04

領掌

受け取ること。
そして、承諾すること。了承すること。
リョウショウという音でこのふたつの漢字、そして同じ意味。
日本の漢字ゆえに起きやすいことかもしれないが
珍しいパターン。

ただ、この領掌という文字自体が使われることが減っている。
文字における淘汰ってこのパターンで起きるのかな?
同じあることが、ある意味紛らわしい、なら一方はいらない。
役割の重複は淘汰の始まりといえる。

2017-10-03

回答

似ている言葉に、解答があり
違いは
・「回答」→質問への返事
・「解答」→問題を解く事
では、質問と問題の違いは?
だって、面接試験の問いは、質問なの?問題なの?

どうも日本語の使い分けってそのものが曖昧だと思う。

2017-10-02

学者

学問を業とする人。
最近メディアをみていると、学者と名乗る輩が増えてきた。
そして、一言、批評家、評論家と何が違うの?
僕が属しているITの世界で言うところの
プログラマーとシステムエンジニア、ITコンサルタントと同じように
格付けを上げるために名乗っているに過ぎなく感じる。
これに対して、違うとかいう学者に言うとしたら
「うちの業界もそうだが、顧客、社会一般ではどうでもよく、
 ただ、一般相場と支払額を変えたいときに使うだけ」
としか思われていない。

そもそも、メディアでコメントする学者って
過去の引きこもりの学者と違い、
自分の好きなことを研究しているただのオタク芸人レベルだよね。