イワシの干物。
日本の創作文化等においては、「貧しい食卓」の象徴とされる。
僕があこがれる土光敏夫がメザシの土光と言われたりする。
財界のドンとして、改革を推進した傑物だが
私生活は質素で、メザシを食べていることから、メザシの土光って言われたり。
僕は思う。
結局はそうなるって思っている。
たぶん、土光の時代も
財界でいろいろと交渉する場では、華美な料理や贅沢な接待を受けただろう。
だから、質素と言われてもいろいろとグルメを味わっただろう。
でも、だから、その扱いより、日々の暮らしは反対になる。
そうしないとやってらえれない。
規模小さいながら僕もそうなる。
相対的に名店で食事をしているビジネス会食だが
結局はメザシが飯に合う。わざわざ探してもメザシを買うことばかりだ。
そして、必要以上に華美な生活より
必要最低限のもので日常は過ごしたい。
改革や大胆な発想は実は身の回りが質素だからこそ
いろいろと考える時間があり、思いつくもの。
全然、土光敏夫に及ばないが彼の思いに近づいたかなって
メザシを買うときに思う。
2024-05-27
目刺
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