よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
なんて読み?どういう意味?蒸す民、、盛り上がっている人々のこと?込み合っているところにいる人々?正解はジョウミンもろもろ、一般な人々、、読めるか!わかるか!だから、誰も使わないし、IMEで提案されない。これは消える言葉だな。
どうしても成しとげようと心の底から念じている大きな願い。もともとは仏教用語、そして、悲願を抱くということは根に持つという感情がないと成り立たない。悲願達成は美談なのにその言動力となる根に持つという感情は負の感情と扱われることの論理破綻に現代人は何も考えていないことにバカさを感じる。
多くの人が集まって、輪の形にならぶこと。もともとは兵法の陣形の一つだったが、今ではチームが一丸になって挑む姿勢の表れになっている。でも円陣系は方円であり、専守防衛の陣形では?勝とうというより、どうにかしのげのような。まー伝説、創作の世界では、円陣でも車懸という超攻撃的陣形もあるけどまーー、実際に兵法を知らない人たちにはどうでもいいことか。。。
昔の事を懐かしく思い出すこと。懐古とどこが違うの?答えは全くの同じだね。違うって言い張る理由がまずないのは類似語においては珍しい。旧と古の違いがもうなくなっている証拠でもある。まーそうやって、言葉はマージ、自然淘汰されていくんだろうね。
読めん。でも、、よく使う言葉、、、文字をなぞって右クリックで答えはでる。ヒンシュク ということ。デジタル化の台頭は・読めなくてもいい・書けなくてもいい・理解しなくてもいいともいえる。だから、漢字なんて覚えなくてもいい。そもそも、文章なんて書く必要ないのに、、なんて時代になっている。非デジタル世代の多くはノートに読み書きをしていたが今では画面入力の現代。「漢字も書けないのか!」と言い出す老人「入力に時間かかってんじゃねーよ」という若者どっちが社会的顰蹙なんだろうかね。
人々から尊敬・布施をうける資格のある人のことで悟りをひらいた高僧なら、現代社会にいてもいいのでは?羅漢、、でも正式には阿羅漢であり、悟りを開いた最高位の修行者、、聖者となる。今の社会ではそんな最高位を口にするのはおこがましいということで羅漢は名乗らないし、十六羅漢、五百羅漢という過去、伝説の存在が一般名詞化しているので、現世の人がなるものではなくなった。まー、羅漢が出てくるというときはある意味、末世の現れとか、救世主発想の悪い時代になったときかなあ。
防御を破る。つまり、守り切れない意味なのだが、破防法となると、破壊活動防止法と守れると意味になる。熟語は漢字の意味をもとに縮めて表現するものだが最近は長い名称の代表漢字を頭出しして熟語にしているケースもある。英語の頭文字の略式に倣ってのことだと思うがそれにより、本来の感じの意味とは違う結果になることも目立つ。それゆえ、認識違い、、結果コミュニケーション障害になるのだが、自分主義の現代、自分の思い込みでの短縮が誰とも共感しているということが本当にやばいなあ。
いい加減なところがなく、きちんとしているさま。真当であることってなんだろう。結果的に無難で何も意味のない見解でしかない。それでは、社会、ビジネス、相手の気持ちは変わらない。真当であることはある意味、生産性のないとして批判すべきではないか?それが出来ない現代社会の評価基準だから経済成長がおきないんだろうな?~無茶~無理~正気じゃないが社会成長の源泉だったはずなのに、、