形式ばらないで話し合うこと。
企業が懇親のために、座談会とか開く。
全く持って意味がない。
無理に集めて、事前、前提条件がわからない中
会話ができるだろうか?
そこで、会話能力を磨いてほしいとかいいだすが、
そこでも話せるくらいの人間は
すでに会話能力が出来上がっているだけで意味がない。
そんな中にいたら、なおさら話さなくなるだろう。
いやはや、知らない人間を集めて座談させる企画をする輩の
無能さをネタに有識者で座談したいものだ。
よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
2025-10-31
2025-10-30
2025-10-29
2025-10-28
採決
会議で議長が議員に賛成・反対の意思表示(表決)を求め、
その結果を集計して議案の可否を決定する行為
これって民主主義の根幹であるけど、
最近の個人主義、異化された表現の自由から
採決結果に対して
「間違った判断をした」
「多数派工作をして真実を曲げた」
と平気で発言できるようになっている。
民主主義である以上、
採決された結果に従うことになるのが制度。
その制度が嫌なら、そこに籍を置くべきではない。
確かに間違っているかもしれないが
ソクラテスのいう
「悪法もまた法なり」
が今の人間の統治制度なんだから。
どうもその制度の恩恵を受けながら
制度を守らないことを正当化する傾向がある。
これはある意味、新混沌(neo chaos)って言えないか?!
2025-10-27
2025-10-24
2025-10-23
2025-10-22
2025-10-21
2025-10-20
2025-10-17
2025-10-16
2025-10-15
2025-10-14
2025-10-10
2025-10-09
2025-10-08
2025-10-07
2025-10-06
2025-10-03
飢饉
冷害や干ばつ、洪水などの自然災害によって作物がとれなくなり、
人々の生活に必要な食物や物資が不足して飢え苦しむこと
過去のことのように感じているが実は頻繁に日本でも起きている。
今騒がれている異常気象。
それって実は地球規模でいえば頻繁に起きること
現代人は比較データが近年しかないから
その中での比較をしているだけ
過去の飢饉はそれで起きているだけ
しかし、実際に飢饉になっていないのは
江戸時代まで国内供給でやりくりしていたから
今気温気候が真逆の外国から食料を輸入できているから
そして、それを買えるくらい日本が豊かになっていただ。
飢饉の状態は常に起きている
それに対処しているだけの事実を把握しないと