よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
無我夢中の無我と無我単体だと語源が違う。無我夢中の無我は我を忘れているさまだが無我、単体、無我の境地は自体を根拠づける不変な本質は存在という悟りの意味。これが違うということがわからないどころか同じと言い出す輩が多いこと、その多さに負ける世論に正しい日本語なんてものはないって決定だと感じていまう。日本語自体がある意味、無我の境地であり、日本語なんてものは存在しないと思うべきかも?結局、他人に言語で伝わらないということをね。
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