汎用性があるということは
それだけで齟齬を生みやすい。
使う側の視点にたつと
「なんでもできるようになっているからこそ、汎用と言い張れるはず」
しかし、提供側は
「最低限のところであり、本当に実現したいのならば専用のものをつかうべきだ」
といいかねない。
ことわざの
鼠五技にして窮す (むささびの五用)
があるように
なんでもできるは、何もできない
と古来からずっと言われている。
しかし、人間は貪欲に求めたがるものだ。
それが技術進化につながるという、ある意味幻想を正論化ししてくるのは、
いかがなものか?
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