懇切丁寧にと用例が多い。
でも思うに、いくら懇切丁寧に説明しても
わからない輩には無理で「わからない」って言い出す。
こちらからすれば、
ただ「わからない」という言わず
「どこがどう理解できないのか」を相手に伝えるために
教育を受けているのでは?
こういう輩は野放しにせず
義務教育でこういうことに気づけない人間を
オミットすることが社会全体の向上にならないか
個人、人権を守るためには他の個人を守るために
邪魔を消すのもまた権利では??
よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
物を買い取る値段や、商品を仕入れたときの値段、
または商売で品を仕入れたときの元値
~ネットによる全国規模の値下げ合戦
~転売による希少品の高価格化
すでに定価の買値が破綻している。
これって、、、、あるべきカタチではないだろうか!
需要と供給が成り立っている自由市場の理想形では?
転売を不当というが
みんなが統一価格で誰でも手に入れられるって
破綻した社会主義の発想ではないか!
そもそも、転売って卸業そのものではないか!
同じことをしているのに、こっちはいいけど、あっちはダメって。
転売での買値統制ではなく
~大量供給体制の早期構築
~欲しい人を見極めて売る販売チャネルの構築
~転売だろうがどうしても買いたい、売りたいのマッチングの正当性
を取引の仕組みで徹底すべきではないか。
欲しいものが思う価格で買えずそれを転売者に八つ当たり
ってある意味、自由主義批判そのもので危険な発想では?